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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 11月 29日

撰時抄愚記 下一七 自界叛逆難の兼知符合を説く

  十三日

一 (へいの)左衛門尉(さえもんのじょう)に向かって云く

 是れ即ち名字なり。故に「へイ」とよむべし。愚案(ぐあん)記三・十六に云云。語式は不可なり。

一 日蓮は日本国の棟梁(とうりょう)なり

 職原抄(しょくげんしょう)一・六の頭書(かしらがき)に云く「室、棟梁に非ざれば(すなわ)(じょう)ず」云云。又云く「(ずい)高孝基(こうこうき)、人を知るの(かがみ)有り杜如(とじょ)(かい)を見て(いわ)く、必ず棟梁の重きに任ぜんと。班固(はんこ)(しゃ)()()(すす)む、(まこと)大僕(たいぼく)の棟梁なりと。棟梁の二字は(ここ)より出ず」と云云。

佐渡抄十四・九に云く「日蓮によりて日本国の有無(うむ)はあるべし、(たと)えば(いえ)に柱なければ・たもたず人に(たましい)なければ死人なり、日蓮は日本の人の魂なり平左衛門(すで)に日本柱をたをしぬ」文。即ち今文に同じきなり。

一 只今(ただいま)自界(じかい)叛逆(ほんぎゃく)

 問う、(けん)()符合(ふごう)如何(いかん)

 答う、顕立正意抄十三・二十七に云く「(いぬ)る文永八年九月十二日御勘気(ごかんき)(こうむ)りしの時()く所の(ごう)(げん)次の年二月十一日に符合せしむ、(こころ)有らん者は之を信ず可し。(いか)(いわん)や今年(すで)に彼の国災兵(さいひょう)の上二()国を(うば)()る。(たと)い木石()(いえど)も、設い禽獣(きんじゅう)()りと雖も感ず可く驚く可きに」等云云。

「次の年の二月十一日」とは(すなわ)ち文永九年二月の騒動の事なり。

文永九年壬申(みずのえさる)春、鎌倉の時宗の舎兄・六波(ろくは)()の南方・北条式部丞(ほうじょうしきぶのじょう)(とき)(すけ)(ひそか)に時宗を(ちゅう)せんと(はか)る。北条尾張守(きみ)(とき)入道(にゅうどう)(けん)西(ざい)遠江守(とうとうみのかみ)教時(のりとき)(これ)に応ず。事、関東に聞こゆ。故に二月十一日、鎌倉に於て彼の与党(きみ)(とき)入道並びに遠江守教時を誅す。(しか)るに(けん)西(ざい)罪科なき故に()って、討手(うって)大倉次郎左衛門尉、渋谷新左衛門尉、四方田(よもだ)竜口左衛門尉、石河神の次左衛門尉、薩摩左衛門三郎等、首を()られ(おわん)ぬ。又中の御門(みかど)中将(さね)(たか)郷、(ろう)者と成る。その(ほか)、多くの人誅敗(ちゅうばい)を受く。

同じき十五日、鎌倉の早馬、六波羅の北方・北条義宗(よしむね)(もと)に来る。義宗(にわか)に南方へ押し寄せ、(とき)(すけ)()(ほろぼ)す。吉野の奧に遁逃(とんとう)し、(つい)に行方を知らず。(これ)二月の騒動と()うなり。

 (とき)(すけ)は是れ時宗の兄なるに、弟の時宗家督(かとく)を取られ鬱憤(うっぷん)止まざる故に、逆心の(くわだて)りしなり。六波羅の北方・義宗は是れ長時が子なり。長時は重時(しげとき)が子なり。重時は是れ義時の三男なり。義時は時政が嫡子(ちゃくし)なり。(きみ)(とき)(のり)(とき)(みな)時頼、時宗の一門なり。自界叛逆(ほんぎゃく)の兼知(あたか)も符節の合うが如し。(あに)大聖人に非ずや。

 日妙抄十九・六十に云く「今年二月十一日合戦、()れより今五月のすゑ()・いまだ世間安穏ならず」等云云。

 又文永九年正月十六日、佐州塚原に於て諸宗と法論、勝利を得るの後、本間重連(しげつら)に向って未萌(みぼう)を示す。此の事、三十日の内に符合せり。(つぶさ)佐渡抄十四・八紙()()の如し。

 「(いか)(いわん)や今年二箇国を(うば)()る」とは、「今年」は即ち文永十一年(1274)なり。王代一覧の五・四十二に云く「文永十一年十月、蒙古の兵船、対馬(つしま)島に寄せ来る。武士等防戦」等云云。「二箇国」とは壱岐(いき)・対馬なり。

一 経文の如く乃至(ないし)彼等が()由井(ゆいの)(はま)にて切らずば等

  問う、(いず)れの経文を指すや。

  答う、安国論の意に(じゅん)ずるに、(せん)()有徳(うとく)の経文なるべし。会疏(えしょ)三・五十五、同十一・十九、安国論十七・八。

  問う、涅槃(ねはん)経には「(とう)(じょう)を持すと雖も、(まさ)に命を断ずべからず」云云。

  安国論に云く「釈迦の以前の仏教は其の罪をるといえどのうにんの以後、経説はすなわを止む」等云云。「諸宗の僧のくびねらるべし」云云。あに相違するに非ずや。

  答う、「則ち其の施を止む」とは、是れ為人悉(いにんしつ)(だん)に約す。「頸を()ぬべし」とは是れ対治(たいじ)悉檀に約す。本経の文に両辺あり。故に(おのおの)一意に()るなり。啓蒙九・十四、又会疏(えしょ)三・三十一に云云。二十一・二十三


                    つづく

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by johsei1129 | 2015-11-29 17:52 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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