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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 11月 27日

撰時抄愚記 下一三

  五 日

 第二十九段 閻浮第一の智人

一 問うて云く正嘉(しょうか)の大地しん等

此の下は第二に、日蓮は(えん)()第一の智人なることを明かす、又三あり。初めに略して所知の瑞相(ずいそう)を示し、次に「問て云く心いかん」の下は広釈、三に「あわれなるかなや」等の下は悲喜(ひき)なり云云。

 所知の瑞相とは「正嘉の大地しん」「文永の大彗星(すいせい)」なり。東鑑(あずまかがみ)四十七・十七に云く、註の所引の如し、同二十七に云く「十一月八日(つちのと)(ひつじ)大地震、()ぬる八月二十三日の如し」云云。是れ日本国中一同の大地震なり。

文永の大彗星とは、東鑑には文永元年を()く。(ごう)運図(うんず)に云く「大彗星()ず」と云云。法蓮抄十五・二十七、往いて見よ。一天に(わた)る大長星なり。前代未聞の事なり。

一 智人は()を知り等

 一義に云く、(ただ)仏の智人のみ本化の智人出現の(いわれ)を知るなり。()迹化(しゃっけ)の愚人は本化の智人出現の謂を知らざるなり。例せば(もう)(ぎゅう)に云うが如し。「(しゃ)(しょう)、八歳にして智慧(ちえ)人に勝る。父(たずさ)えて客を送る。()る人曰く、此の()は一座の(がん)(かい)なりと。謝尚、声に(こた)えて云く、此の座に孔子無し。(たれ)か顔回と知らんやと」云云。

 一義に云く、(ただ)仏の智人のみ自ら仏の智を知る。(じゃ)の自ら蛇足(だそく)を知るが如し。仏の智者は近きを以て遠きを推し、現を以て(とう)を知る。(たと)えば雨の(たけ)きを見て竜の大なるを知り、華の(さか)んなるを見て池の深きを知るが如し。今も(また)(しか)なり。本化(ほんげ)出現の大瑞(だいずい)を見て、寿量妙法の末法流布(るふ)を知るなり。此れ即ち仏の智なり。仏の智人のみ自ら此の智を知る。迹化(しゃっけ)の愚人は此れを知らざるなり云云。

 聖人知三世抄二十八九に云く「予は(いま)だ我が智慧を信ぜず然りと雖も、自他の叛逆(ほんぎゃく)侵逼(しんぴつ)之を以て我が智を信ず」等云云。之を思い合すべし。

(いわん)や「(じゃ)は自ら蛇を()る」の(たとえ)の意に符合(ふごう)せるをや云云。仏を一切智人と名づくること大論七十・三十紙に出でたり。

一 問うて云く其の()いかん

 此の下は二に広釈、二あり。初めに先ず(とう)(がく)不知を示し、次に「問うて云く智人」の下は正しく蓮祖の能知を明かす。三あり。初めに正釈、次に「問うて云く、なにをもってか此れを信ぜん」の下は引証(いんしょう)、三に「此等の大謗法(ほうぼう)の根源」の下は結。初めの等覚不知を示すに又二あり。初めに正しく明かし、次に「問うて云く日本」の下は彼を以て此に(きょう)す云云。

一 寿量品の南無妙法蓮華経

 顕仏未来記に云く「本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮提(えんぶだい)に広宣流布」等云云。

 (まさ)に知るべし、(ただ)「寿量品」と云って(いま)だ本迹一致、一品二半等とはいわず。(しか)るに蓮師に違背(いはい)して「本迹一致の妙法」と云云。(あわれ)むべし、悲しむべし云云。

一 此の事を知る人あるべしや等

 啓蒙に云く「此の事とは災難の由来(ゆらい)を指す」と云云。

(いわ)く、(ただ)瑞相(いわ)て「なりく、地震・長星は滅後の瑞相なり。本化(ほんげ)()(しゅつ)は在世の瑞相なり。故に録外(ろくげ)十六・十九に云く「法華経序品の(ろく)(ずい)は一代超過(ちょうか)の大瑞なり、涌出品は又此れに似るべくもなき大瑞なり」文。
 答の中の意は、
(すで)に等覚の菩薩すら(なお)瑞相の(いわれ)を知らず、(いわん)一毫(いちごう)未断(みだん)の凡夫をや。何ぞ瑞相の謂を知らんや云云。

一 問うて云く智人等

 此の下は(まさ)しく蓮祖の能知を明かす。「此の(わざわい)の根元」とは天地の災難、即ち是れ瑞相なり。「蛇は七日(なのか)(うち)等」とは開目抄下二十五に。

一 大竜の所従等

 文の意に云く、日蓮は久遠(くおん)(じつ)(じょう)の大竜の所従なり。久遠塵点(じんてん)より已来(このかた)、久しく本門寿量の肝心(かんじん)を学せり等云云。  

一 日蓮は凡夫(ぼんぷ)なり等

 啓蒙に云く「既に凡夫と云う。故に(しん)(ゆう)(はく)(よう)を引き、一分(いちぶん)の凡夫の兼知を証するなり」等云云。

 今(いわ)く、此の義は(はなは)だ不可なり。何ぞ書を講ずる者とわんや.く、(すで)に本仏の所従にして久しく本門寿量を学せり。故に知んぬ、日蓮は実に是れ聖人なることを。故に外典(げてん)の一分の聖人を引き、(いま)日蓮は是れ智人なることを顕すなり。「辛有・伯陽」は既に未萠(みぼう)を知る。(あに)一分の聖人に非ずや。(ただ)「凡夫」とは是れ(けん)()の御(ことば)なるのみ。

一 周の(へい)(おう)の時等

 安国論に云云。 

一 (ゆう)(おう)の時山川くづ()

 史記の四・二十六。「(はく)(よう)」は老子に非らざるなり。啓蒙の中に弁ずるが如し。


                   つづく
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by johsei1129 | 2015-11-27 21:50 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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