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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 11月 23日

撰時抄愚記 下十

一 十二年の年分(ねんぶん)得度(とくど)文。

 (あるい)は云く、山門に於て()(かん)・真言の両業(りょうごう)を伝うる(ため)に、その法器を(えら)び年(ごと)に二人を()す。此の人は十二年の間、山門を()でず。一人は止観の業を修し、一人は遮那(しゃな)の業を修す。是れを「十二年の年分得度」と云うなり云云。

一 (しょう)(まん)

 (まさ)に「金光明」に作るべし。諸文の意(みな)爾なり云云。

一 八()の大徳

応に「八()」に作るべし。並びに是れ密宗の師なり。釈書の第三・八、円仁(えんにん)伝の下に十一師を(いだ)す、中に於て(しょう)(こう)は是れ禅宗なり。()(おん)(しゅう)(えい)は天台宗なり。此の三人を(のぞ)く自余の八人は、並びに真言師なり。所謂、宗叡(しゅうえい)全雅(ぜんが)元政(げんせい)・義真・(ほっ)(せん)(ほう)(がつ)侃阿闍(かんあじゃ)()惟謹(ゆいきん)なり。故に第六巻二十七に云く「法全・元政等の八人の真言師」云云。(けだ)し下の文に「八大徳並びに南天の(ごう)(げつ)」とは総別兼ね()ぐるなり。例せば八相成道の如し。故に「顕密二道の勝劣」とは下の「(こう)(しゅ)維蠲(ゆいけん)」等に冠するなり。朝抄・啓蒙、(とも)に非なり。

一 (こう)(しゅ)維蠲(ゆいけん)

 ()(おん)宗叡(しゅうえい)等取(とうしゅ)するか。「広修」は宋高僧伝の第三十・二、統紀の第八・三に()でたり。「維蠲」は別に伝無し。唐決の下三十四紙に台州(たいしゅう)刺史(しし)の書を()す、()いて見よ。

一 止観院

 是れ(まさ)しく中堂なり。総持院は山門秘伝九。

一 世間と勝義

「世俗」は即ち事、「勝義」は即ち理なり。()(かく)の釈の意は理同事勝と云云。

 難じて云く、既に真言三部の中に、開権(かいごん)(けん)(じつ)の妙理を説かず、故に二乗作仏の文無し。此の故に(また)十界互具の理無し。故に真実の妙理に(あら)ず。何ぞ理同と云わんや是一。

 又衆生の成仏は(ただ)十界互具の妙理に()る。(けだ)し印・真言は成仏の上の事用なり。()し十界互具の妙理に依って即身成仏せば、印・真言は自然(じねん)に具足するなり。(あに)唖仏(あぶつ)中風仏(ちゅうふうぶつ)有るべけんや。故に之を説かずと(いえど)も、理に於て(さまた)げなし。若し説かざるに()って名づけて事劣(じれつ)と為さば、大日経の中に世界建立(こんりゅう)等を説かず。若し(しか)らば阿含(あごん)経に劣れるや是二。

 (いわん)(また)真言教には印・真言を説くと雖も、久遠(くおん)(じつ)(じょう)の事を説かず。何ぞ(かえ)って事勝といわんや是三。

 況や復伝教大師は法華を以て(しょう)と為し、天台大師は法華を以て諸仏所証の本法と為す、何ぞ本師に違背(いはい)して(かえ)って事勝と云わんや是四。

 若し伝教(いま)(ことごと)く習伝せず、天台の時には真言渡らずと云わば、教主釈尊・多宝仏・十方(じっぽう)分身(ふんじん)の諸仏は如何、三説超過、証明舌相(ぜっそう)云云是五。

 (すべ)て一代経の中に、真言は勝れ法華は劣るの文無し。故に()(かく)大師は現罰を(こうむ)り、或は疫病(えきびょう)にて死せりと云う。下山抄二十六・三十二の如し。或は御(こうべ)出羽(でわの)(くに)立石寺(りっしゃくじ)(これ)有りと云う、太田抄二十三・二十六の如し。山門秘決に云く「慈覚大師は前唐院に於て御入滅し(おわん)ぬ。(ここ)に御(やかた)より飛び(いだ)して東方に行く。御草鞋(わらじ)()(ほう)峰に落つ。()の日、其の時、出羽国に至る」等云云。太平記評判の二十四に云く「其の後、三門南都の法論(おこ)って、慈覚大師の遠行不思議の分野(ども)多かりし、是も法論の遺恨(いこん)の故ぞと聞こえし」文。


                  つづく
撰時抄愚記下 目次



by johsei1129 | 2015-11-23 17:36 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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