日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 11月 20日

撰時抄愚記 下一 「もし昔を称歎せば、豈(あに)今を毀(そし)るに非ずや」

 撰時抄下愚記 

                正徳六(ひのえ)(さる)年二月七日 大貮(だいに)日寛之を記す


   第二十段 浄土宗を破す


一 問うて云く此の三宗等

 此の下は(まさ)しく破す、(また)二あり。初めに通じて三宗を破し、次に別して()(かく)を破す。初めに亦三あり。初めに正しく破し、二に「彼の月氏」の下は例を引き、三に「此等の三大事」の下は結前生後なり。第一の正しく破するに(おのず)から三あり。初めに浄土宗、又二あり。初めに漢土(かんど)の三師、次に日本の(ほう)(ねん)なり。初めに亦三あり云云。

一 (せい)の世に曇鸞(どんらん)法師

 註の六・五十一、啓蒙二・四十九、()いて見よ。

  問う、此の師の謬誤(みょうご)は如何。

  答う、大段に二失(にしつ)あり。

  一には本論違背(いはい)(とが)、二には執権(じゅうごん)(ぼう)(じつ)の失なり。

 初めに本論違背の失とは鸞公(らんこう)の浄土論註に云く「(つつし)みて竜樹菩薩の十住(じゅうじゅう)毘婆沙(びばしゃ)(ろん)を案ずるに云く『菩薩、阿毘跋致(あびばっち)を求むるに二種の道有り。一には難行(なんぎょう)(どう)、二には()(ぎょう)(どう)なり。難行道とは五濁(ごじょく)無仏の時に於て阿毘跋致を求むるを(かた)しと為す。(たと)えば陸地の歩行は則ち苦しきが如し。易行道とは(ただ)信仏の因縁を以て浄土に生ぜんと願わば、仏の願力に乗じて便(すなわ)ち彼の清浄の土に往生(おうじょう)することを()。譬えば水路(すいろ)の乗船は則ち楽しきが如し」等云云略抄。

()し此の所引に(じゅん)ぜば、十住毘婆沙の難易の二道は、無仏五濁(ごじょく)の時に於て、此土(しど)入聖を難行道と為し、往生浄土を易行道と為すなり。(しか)るに此の意は本論に(たが)えり。

今、引いて之を示さん。十住毘婆沙論の第五易行品の九に云く「阿惟越致(あゆいおっち)は是れ法(はなは)だ難し、久しくして(すなわ)ち得べし。汝()し此の方便を聞かんと欲せば、(いま)当に(これ)を説くべし。仏法に無量の門有り。世間の道に難有り、(えき)有り、陸道の歩行は則ち苦しく、水道の乗船は(すなわ)ち楽しきが如し。菩薩道も亦()くの如し。(あるい)勤行(ごんぎょう)精進(しょうじん)する有り、或は信の方便を以て易行(いぎょう)して、()阿惟越致(あゆおっち)()に至る者有り」等云云。又云く「菩薩、此の身に阿惟越致地に至ることを得んと欲せば、()()十方(じっぽう)の諸仏を念じて其の名号(みょうごう)(とな)うべし」等云云。

  此の本論の意は、通じて仏道に難あり易あることを明かす。(しか)るに鸞公(らんこう)は別して無仏五濁(ごじょく)の時に約す是一。

  又本論の意は、歴劫(りゃっこう)長遠(ちょうおん)の教を以て難行と為す。故に「久しくして(すなわ)得べし」「勤行精進する」等と云う。(しか)るに鸞公は此土(しど)(にゅう)(しょう)を難行と為す是二。

  又本論の(こころ)は、此土不退(ふたい)に約して()(ぎょう)を明かす。故に「此の身に・欲せば」等と云う。(しか)るに鸞公は、浄土に往生するを易行と為す是三。(あに)本論違背(いはい)に非ずや。

次に執権(しゅうごん)(ぼう)(じつ)(とが)とは、鸞公、(ただ)先判(せんぱん)の権教に(しゅう)して後判(ごはん)の実教を信ぜざるが故なり。妙楽云く「()し昔を称歎(しょうたん)せば、(あに)今を(そし)るに非ずや」云云。又云く「頓極(とんごく)を信ぜざるを名づけて謗実と為す」等と云云。


                  つづく
撰時抄愚記下 目次



by johsei1129 | 2015-11-20 12:35 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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