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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 05日

一切の女人は此の経(法華経)を捨てさせ給いては何の経をか持たせ給うべき、と断じた【善無畏抄】

【善無畏抄】
■出筆時期:文永八年(1271)  五十歳御作
■出筆場所:鎌倉市中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は大聖人の故郷安房・東条郷に住む大尼御前に宛てられた消息と思われます。大尼御前は建長五年の立宗宣言後に大聖人に帰依しますが、佐渡流罪の法難以降は、法華経信仰を捨て退転します。
大聖人は真言の開祖善無畏三歳を始め、三論宗、浄土宗、禅宗等をことごとく破析するとともに「其の上女人は五障三従と申して世間出世に嫌われ一代の聖教に捨てられ畢んぬ、唯法華経計りにこそ竜女が仏に成り諸の尼の記べつは・さづけられて候ぬれば一切の女人は此の経を捨てさせ給いては何の経をか持たせ給うべき」と記され女人成仏の法は法華経だけであると断じられておられます。
尚、大尼御前は大聖人が赦免になると再び法華経信仰に復帰し、嫁の新尼を通じて「御本尊」のご下付を願い出ますが、大聖人は法難にあっても法華経信仰を貫いた新尼には下付するが、大尼御前に下付することは叶わないと新尼に伝えておられます。※参照:大尼御前御返事
■ご真筆:鎌倉市 本覚寺他、六ヶ所にて断簡所蔵。
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[善無畏抄 本文]

<この前の文は残されておりません>
善無畏三歳は月氏・烏萇奈(うちょうな)国の仏種王の太子なり、七歳にして位に(即つ)き給う十三にして国を兄(このかみ)に譲り出家遁世(とんせい)し五天竺(てんじく)を修行して五乗の道を極め三学を兼ね給いき、達磨掬多(だるまきくた)と申す聖人に値い奉りて真言の諸印契(いんけい)一時に頓受(とんじゅ)し即日に御潅頂(かんちょう)なし人天の師と定まり給いき、雞足山(けいそくせん)に入りては迦葉(かしょう)尊者の髪を剃(そ)り王城に於て雨を祈り給いしかば観音日輪の中より出て水瓶(すいびょう)を以て水を潅ぎ、北天竺の金粟(こんぞく)王の塔の下(もと)にして仏法を祈請(きしょう)せしかば文殊師利菩薩大日経の胎蔵(たいぞう)の曼荼羅(まんだら)を現して授け給う、其の後開元四年丙辰(ひのえたつ)に漢土に渡る玄宗皇帝之を尊むこと日月の如し、又大旱魃(かんばつ)あり皇帝勅宣を下す、三蔵一鉢に水を入れ暫く加持し給いしに水の中に指許(ゆびばか)りの物有り変じて竜と成る其の色赤色なり、白気立ち昇り鉢より竜出でて虚空に昇り忽(たちまち)に雨を降(ふら)す、此の如くいみじき人なれども一時(あるとき)に頓死(とんし)して有りき、蘇生(よみがえ)りて語つて云く我死つる時獄卒来りて鉄の繩七筋(なわななすじ)付け鉄の杖を以て散散にさいなみ閻魔(えんま)宮に到りにき、八万聖教一字一句も覚えず唯法華経の題名許(ばか)り忘れざりき、題名を思いしに鉄の繩少し許(ゆり)ぬ、息続(いきつ)いて高声に唱えて云く今此三界皆是我有(こんしさんがいかいぜがう)・其中衆生悉是吾子(しつぜごし)・而今此処多諸患難(にこんししょたしょげんなん)・唯我一人能為救護(ゆいがいちにんのういくご)等云云、七つの鉄の繩切れ砕け十方に散す閻魔冠(かん)を傾けて南庭に下り給いき、今度は命尽きずとて帰されたるなりと語り給いき、

今日蓮不審して云く善無畏(ぜんむい)三蔵は先生に十善の戒力あり五百の仏陀に仕えたり、今生には捨て難き王位をつばき(唾)を捨てるが如く之を捨て幼少十三にして出家し給い、月支国を廻りて諸宗を習い極め天の感を蒙(こうむ)り化道の心深くして震旦(しんたん)国に渡りて真言の大法を弘めたり、一印一真言を結び誦すれば過去現在の無量の罪滅しぬらん何の科(とが)に依りて閻魔の責をば蒙り給いけるやらん不審極り無し、善無畏三蔵真言の力を以て閻魔の責を脱れずば天竺(てんじく)・震旦・日本等の諸国の真言師・地獄の苦を脱る可きや、委細に此の事を勘(かんが)えたるに此の三蔵は世間の軽罪は身に御(おわ)せず諸宗並(なら)びに真言の力にて滅しぬらん、此の責は別の故無し法華経誹謗(ひぼう)の罪なり、大日経の義釈を見るに此の経は是れ法王の秘宝妄(みだ)りに卑賤(ひせん)の人に示さず、釈迦出世の四十余年に舎利弗慇懃(しゃりほつおんごん)の三請に因(よ)つて方(まさ)に為に略して妙法蓮華の義を説くが如し、今此の本地の身又是れ妙法蓮華最深秘処なり、故に寿量品に云く「常に霊鷲山(りょうじゅせん)及び余の諸の住処に在り、乃至我が浄土は毀(やぶ)れざるに而も衆は焼き尽くと見る」と、即ち此の宗瑜伽(ゆが)の意なるのみ、又「補処(ふしょ)の菩薩の慇懃(おんごん)三請に因つて方に為に之を説く」等云云、

此の釈の心は大日経に本迹二門・開三顕一・開近顕遠(かいごんけんのん)の法門有り、法華経の本迹二門の如し、此の法門は法華経に同じけれども此の大日経に印と真言と相加わりて三密相応せり、法華経は(但ただ)意密許(ばか)りにて身口の二密闕(か)けたれば法華経をば略説と云い大日経をば広説と申す可きなりと書かれたり、此の法門第一の誤り・謗法(ほうぼう)の根本なり、此の文に二つの誤り有り、又義釈に云く「此の経横に一切の仏教を統(す)ぶ」等云云、大日経は当分随他意の経なるを誤りて随自意跨節(かせつ)の経と思えり、

かたがた誤りたるを実義と思し食す故に閻魔(えんま)の責をば蒙りたりしか、智者にて御座(おわ)せし故に此の謗法(ほうぼう)を悔い還えして法華経に飜(ひるがえ)りし故に此の責を免がるるか、天台大師釈して云く「法華は衆経を総括す乃至軽慢止(や)まざれば舌口中に爛(ただ)る」等云云、妙楽大師云く「已今当の妙此に於て固く迷えり舌爛(ぜつらん)止まざるは猶華報と為す、謗法の罪苦長劫(こう)に流る」等云云、天台妙楽の心は法華経に勝れたる経有りと云はむ人は無間地獄に堕つ可しと書かれたり善無畏(ぜんむい)三蔵は法華経と大日経とは理は同じけれども事の印真言は勝れたりと書かれたり、然(しか)るに二人の中に一人は必悪道に堕つ可しとをぼふる処に天台の釈は経文に分明なり、善無畏の釈は経文に其証拠見えず、其の上閻魔王の責の時我が内証の肝心と思食(おぼしめ)す大日経等の三部経の内の文を誦せず、法華経の文を誦して此の責を免れぬ、疑無く法華経に真言勝ると思う誤りを飜(ひるがえ)したるなり・其の上善無畏三蔵の御弟子不空三蔵の法華経の儀軌(ぎき)には大日経金剛頂経の両部の大日をば左右に立て法華経多宝仏をば不二の大日と定めて両部の大日をば左右の巨下の如くせり。

伝教大師は延暦二十三年の御入唐・霊感寺の順暁和尚(じゅんぎょうわじょう)に真言三部の秘法を伝う、仏滝(ぶつろう)寺の行満座主に天台止観宝珠を請(う)け取り顕密二道の奥旨(おうし)を極め給いたる人、華厳・三論・法相・律宗の人人の自宗我慢の辺執(へんしゅう)を倒して天台大師に帰入せる由を書かせ給いて候、依憑集(えひょうしゅう)・守護章・秀句なむど申す書の中に善無畏・金剛智・不空等は天台宗に帰入して智者大師を本師と仰ぐ由のせられたり、各各思えらく宗を立つる法は自宗をほめて他宗を嫌うは常の習なりと思えり、法然なむどは又此例を引きて曇鸞(どんらん)の難易・道綽(どうしゃく)の聖道浄土・善導が正雑(しょうぞう)二行の名目を引きて天台真言等の大法を念仏の方便と成せり、此等は牛跡に大海を入れ県の額を州に打つ者なり、世間の法には下剋上(げこくじょう)・背上向下は国土亡乱の因縁なり、仏法には権小の経経を本として実経をあなづる、大謗法の因縁なり恐る可し恐る可し。

嘉祥寺(かじょうじ)の吉蔵大師は三論宗の元祖・或時は一代聖教を五時に分け或時は二蔵と判ぜり、然りと雖も竜樹菩薩の造の百論・中論・十二門論・大論を尊んで般若(はんにゃ)経を依憑(えひょう)と定め給い、天台大師を辺執(へんしゅう)して過ぎ給いし程に智者大師の梵網(ぼんもう)等の疏(じょ)を見て少し心とけやうやう近づきて法門を聴聞(ちょうもん)せし程に結句は一百余人の弟子を捨て般若経並びに法華経をも講ぜず七年に至つて天台大師に仕えさせ給いき、高僧伝には「衆を散じ身を肉橋と成す」と書かれたり、天台大師高坐に登り給えば寄りて肩を足に備え路を行き給えば負(おい)奉り給うて堀を越え給いき、吉蔵大師程の人だにも謗法(ほうぼう)を恐れてかくこそ仕え給いしか、然るを真言三論法相等の宗宗の人人今・末末に成りて辺執せさせ給うは自業自得果なるべし。

今の世に浄土宗禅宗なんど申す宗宗は天台宗にをとされし真言華厳等に及ぶ可からず、依経既に楞伽(りょうが)経観経等なり此等の経経は仏の出世の本意にも非ず一時一会の小経なり一代聖教を判ずるに及ばず、而も彼の経経を依経として一代の聖教を聖道浄土・難行易行・雑行正行(ぞうぎょう・しょうぎょう)に分ち教外別伝なむど・ののしる、譬(たと)えば民が王をし(い)えたげ小河の大海を納むるが如し、かかる謗法の人師どもを信じて後生を願う人人は無間地獄脱(まぬが)る可きや、然れば当世の愚者は仏には釈迦牟尼(むに)仏を本尊と定めぬれば自然に不孝の罪脱がれ法華経を信じぬれば不慮に謗法の科(とが)を脱(のが)れたり。

其の上女人は五障三従と申して世間出世に嫌われ一代の聖教に捨てられ畢(おわ)んぬ、唯法華経計(ばか)りにこそ竜女が仏に成り諸の尼の記べつは・さづけられて候ぬれば一切の女人は此の経を捨てさせ給いては何(いずれ)の経をか持たせ給うべき、天台大師は震旦(しんたん)国の人仏滅後一千五百余年に仏の御使として世に出でさせ給いき、法華経に三十巻の文を注し給い文句と申す文の第七の巻には「他経には但男に記して女に記せず」等云云、男子も余経にては仏に成らざれども且らく与えて其をば許してむ、女人に於ては一向諸経に於ては叶う可からずと書かれて候、縦令(たとい)千万の経経に女人成る可しと許され為りと雖も法華経に嫌われなば何の憑(たのみ)か有る可きや。

教主釈尊我が諸経四十余年の経経を未顕真実と悔い返し涅槃(ねはん)経等をば当説と嫌い給い無量義経をば今説と定め置き、三説に秀でたる法華経に「正直に方便を捨て但(ただ)無上道を説く、世尊の法は久しくして後要当(かならずまさ)に真実を説くべし」と釈尊宣べ給いしかば、宝浄世界の多宝仏は大地より出でさせ給いて真実なる由の証明を加え、十方分身の諸仏・広長舌を梵天に付け給う、十方世界微塵数(みじんじゅ)の諸仏の舌相は不妄語戒の力に酬(むく)いて八葉の赤蓮華に生出(おいいで)させ給いき、一仏二仏三仏乃至十仏百仏千万億仏の四百万億那由佗(なゆた)の世界に充満せる仏の御舌を以て定め置き給える女人成仏の義なり、

謗法(ほうぼう)無くして此の経を持つ女人は十方虚空に充満せる慳貪(けんどん)・嫉妬(しっと)・瞋恚(しんに)・十悪・五逆なりとも草木の露の大風にあえるなる可し三冬の冰(こおり)の夏の日に滅するが如し、但(ただ)滅し難き者は法華経謗法の罪なり、

譬えば三千大千世界の草木を薪と為すとも須弥山(しゅみせん)は一分も損じ難し、縦令(たとい)七つの日出でて百千日照すとも大海の中をばかわかしがたし、設(たと)い八万聖教を読み大地微塵の塔婆(とうば)を立て大小乗の戒行を尽し十方世界の衆生を一子の如くに為すとも法華経謗法の罪はきゆべからず、我等・過去・現在・未来の三世の間に仏に成らずして六道の苦を受くるは偏に法華経誹謗の罪なるべし、女人と生れて百悪身に備ふるも根本此の経誹謗(ひぼう)の罪より起れり。
然者(されば)此の経に値い奉らむ女人は皮をはいで紙と為し血を切りて墨と為し骨を折りて筆と為し血の涙を硯(すずり)の水と為して書き奉ると雖(いえど)も飽(あ)く期あるべからず、何(いか)に況(いわん)や衣服・金銀・牛馬・田畠等の布施を以て供養せむは・もののかずにて・かずならず。

<この後の文は残されておりません>



by johsei1129 | 2019-10-05 15:22 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
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