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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 12月 02日

日興上人が御遷化なされる三ヶ月前に日目上人に血脈相承なされた書【日興跡条々事】

【日興跡条々事】
■出筆時期:元弘二年(1332年)十一月十日。日興上人 八十七歳御作
■出筆場所:富士 重須(おもす)談所にて。
■出筆の経緯:日興上人が日目上人に大石寺を管領することと、日蓮大聖人から附属された【一閻浮提総与の大御本尊】を附属することを記した相承書となります。
 尚、「右、日目は十五の歳、日興に値ひて法華を信じて以来、七十三歳の老体に至るも・・・」の御文は、日蓮大聖人が百六箇抄の末尾に記された「日興を以て結要付属の大将と定むる者なり。又弘長配流の日も、文永流罪の時も、其の外諸処の大難の折節も、先陣をかけ、日蓮に影の形に随うが如くせしなり。誰か之を疑わんや。又延山地頭発心の根元は日興教化の力用なり。遁世の事、甲斐の国三牧は日興懇志の故なり」の御文に習われたと拝されます。 
■ご真筆:富士大石寺所蔵。
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[日興跡条々事 本文] 

一、本門寺建立の時、新田卿阿闍梨日目を座主と為し、日本国乃至一閻浮提の内、山寺等に於て・半分は日目嫡子(ちゃくし)分として管領せしむべし。残る所の半分は自余の大衆等・之を領掌(りょうしょう)すべし。

一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。

一、大石寺は御堂(みどう)と云ひ、墓所(むしょ)と云ひ、日目之を管領し、修理を加へ勤行を致して広宣流布を待つべきなり。
 
 右、日目は十五の歳、日興に値ひて法華を信じて以来、七十三歳の老体に至るも敢へて違失の義無し。十七の歳、日蓮聖人の所に詣で 甲州身延山 御在生七年の間・常随給仕(じょうずいきゅうじ)し、御遷化(ごせんげ)の後、弘安八年より元徳二年に至る五十年の間、奏聞の功・他に異なるに依って此くの如く書き置く所なり。
 仍って後の為(ため)、証状件(くだん)の如し。
 
 十一月十日       日 興 花 押




by johsei1129 | 2019-12-02 22:09 | 日興上人 | Trackback | Comments(0)


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