一 但し詮と不審なる事文。
此に於て句を切れ、下に連綿すること莫れ。当に知るべし、此の答の中に二段あり。所謂、結前・生後なり。而も其の答の意は、天台・伝教は未だ文底秘沈の「最大深秘の大法」を弘めざるが故に、広宣流布に非ざるなり云云。
一 最大の深秘の大法経文の面に顕然なり文。
即ち是れ文底秘沈の三箇の秘法なり。故に「最大深秘の大法」と云うなり。是れ則ち先聖末弘の深法なり。
問う、若し爾らば何ぞ「経文の面に顕然」と云うや。
答う、若し文底の謂を知れば、即ち三箇の秘法は経文に顕然なり。夫れ知と不知とは雲泥万里ならんか。
若し仏法の謂を知らざれば仏法は仍是れ世法なり。名利の僧等の仏法を以て渡世の橋となすが如しとは是れなり。
若し仏法の謂を知れば世法は即ち是れ仏法なり。深く世法を識れば即ち是れ仏法なり。「治世の語言、資生の業等、皆正法に順ぜん」とは是れなり。
若し法華経の謂を知らざれば法華も仍是れ爾前の経なり。権教の人の法華経を読誦するが如きは是れなり。栴檀を焼いて炭と為すが如し。
若し法華経の謂を知れば爾前も即ち是れ法華経なり。宗祖の「此の覚り立ちて後は、阿含即ち法華経」と云うは是れなり。瓦礫を変じて金と為すが如きなり。
若し本門の謂を知らざれば本門は仍是れ迹門なり。本迹一致の類の如きは是れなり。
若し本門の謂を知れば迹門も即ち是れ本門なり。吾が祖の方便を読誦する如きは是れなり。
若し文底の謂を知らざれば文底は仍是れ熟脱なり。諸門徒の三箇の秘法を談ずるが如きは是れなり。
若し文底の謂を知れば熟脱も即ち是れ文底の秘法なり。即ち当文の如きは是れなり。
譬えば和氏の璞の如し。知らざれば則ち玉を以て石と為す。之を知れば則ち石を以て玉と為す。豈知と不知とは雲泥万里に非ずや。又、虞坂塩車の如し。胡曽の中五。
問う、若し爾らばその謂は如何。
答う、宗祖云く「此の経は相伝に非ずんば知り難し」等云云「塔中及び蓮・興・目」等云云。是れ知る所に非ざるなり。
若し爾らば如何。
答う、蒼蠅・碧蘿云云。(注)
問う、前に「三箇の秘法は経文に顕然」云うは如何。
答う、予が依義判文抄の如し。
注:蒼蠅・碧蘿
蒼蠅とは青バエのこと。碧蘿とは緑色のつたかずら。碧は緑または青色。蘿はつたかずら。どちらもとるに足りない者、凡夫の意。
「蒼蠅驥尾に附して万里を渡り、碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ」。立正安国論の御文。ただのハエも万里をゆく馬の尾につけば自由自在となり、かずらの切れはしも成長する松の先にかかれば虚空の広さを味わえる。しかし三大秘法の謂れを知らなければ、蒼蠅・碧蘿のままである。
つづく
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