日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 11月 13日

撰時抄愚記 上三二 若し本門の戒壇を建てざれば未だ広布ならざるなり

十月十五日


一 此の書の文体等

通じて三大部を指して「此の書」と云うなり。是れ吾が祖、三大部を(たん)ずるの文なり。その証拠に三論宗・律宗・華厳(けごん)宗・真言及び(ぼん)(そう)懇望(こんもう)を引くなり。「故に三論宗」とは「故」の字勢は四宗に(かん)すべきなり。

一 千年の(こう)五百の(じつ)文。

補註(ふちゅう)六・十五には即ち今文の如し。(けだ)(こく)(せい)百録四・二十三には「千年と五百とは実に(また)今日に在り」と云云。

一には五百年に聖人()ずるの説。孟子(もうし)十四・二十二に云く「孟子云く(ぎょう)(しゅん)()(とう)に至るまで五百有余(ゆうよ)(さい)」云云。(ちょう)()云く「五百歳にして聖人出ずるは天道の常なり。(しか)るに(また)遅速(ちそく)あり、(まさ)しく五百歳なること(あた)わざるが故に有余(ゆうよ)と云うなり」と。

二には千年に聖人出で、五百年に賢人(けんじん)出ずるの説。王子年が拾遺記(しゅういき)に云く「(たん)(きゅう)は千年に一たび焼け、黄河(こうが)は千年に一たび()めり。皆()(せい)の君、以て大瑞(だいずい)と為す」文。晋書(しんじょ)の註に云く「千年に一度、聖人の()ずるを見、五百年に一賢を見る」と云云。孔子聖人は仏滅後三百九十九年に当り、周の霊王二十一年(かのえ)(いぬ)十一月四日、()(こく)に生る。周の(けい)(おう)四十一年(みずのえ)(いぬ)四月八日に(しゅっ)す、年七十三歳なり云云。是れ仏滅後四百七十二年に当る、故に大数は五百年なり。清浄(しょうじょう)法行経に云く「光浄菩薩、(かしこ)(ちゅう)()と称す」等云云。

天台大師は孔子滅後一千十五年に当って、(りょう)の武帝の(だい)(どう)四年の誕生なり。(ずい)(かい)(こう)十七年丁巳(ひのとみ)の入滅、春秋(しゅんじゅう)六十歳なり。

伝教大師は天台滅後一百六十九年に当って生まれたもう。御年五十六歳にして(こう)(にん)十三年の入滅なり。(つぶさ)(さき)に弁ずるが如し。

蓮祖大聖人は伝教滅後四百一年に当たって生まれたまう。(すなわ)ち天台滅後五百七十年に当るなり。若し伝教に望み、若し天台に望めば(とも)に五百年の前後なり。故に大数は五百年に聖人出ずるの説、以て憑拠(ひょうきょ)たるべきなり。

一 昔は三業(さんごう)住持(じゅうじ)文。

秘蔵に安住し、万善に任持するが故に「住持」と云うなり。「今は二尊に紹()す」とは即ち南岳・天台に紹継する義、可なり。諸抄に云云。

一 南天の僧いか()でか等

上来、皆他家(たけ)称歎(しょうたん)の文を引き、天台の高徳を顕すなり。

問う、三論・華厳(けごん)と天台の(しょ)(りゅう)とは、法門天地水火(すいか)なり。何ぞ天台を称歎するや。

答う、大師の内証(ないしょう)外用(げゆう)は古今に超絶(ちょうぜつ)せり。是の故に自他の偏党を亡却(ぼうきゃく)して称揚(しょうよう)重畳(ちょうじょう)せり。(ただ)法相(ほっそう)(しか)らしむるが故なり。

一 (えん)(じょう)・円()文。

「定」は是れ所観の境、「()」は是れ能観の智なり。止観一部は此の意に()ぎざるなり。

一 いま()(えん)(とん)戒壇(かいだん)を立てられず

例して知るに、()し本門の戒壇を立てざれば(いま)だ広布ならざるなり云云。


                つづく
撰時抄愚記上 目次



by johsei1129 | 2015-11-13 22:29 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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