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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 11月 13日

撰時抄愚記 上三一


 問う、止観は天台の
()(しん)所行の法門を説かんが為なるや。(はた)法華の意に()って之を(ときあか)さんが為なるや。

答う、止観一部は法華の意に()るなり。弘の一の上九に云く「法華の(きょう)()(あつ)めて不思議の十乗・十境を成ず」文。止観大意に云く「(えん)(とん)止観は全く法華に依る。円頓止観は即ち法華三昧(ざんまい)の異名なるのみ」云云。自余(じよ)の諸文は枚挙(まいきょ)(いとま)あらず。

問う、迹門の意に()るや、本門の意に依るや。

答う、()(だん)の異義あり。()(しん)流には(もっぱ)()五上八十八の「本迹二門に此の十法(じっほう)()()せり」等の文を引き、止観は本迹二門に(わた)ると云云。檀那(だんな)(りゅう)には(さか)んに弘の三上四の「今は法華の迹の理に約す」等の文を引き、止観は迹門に限ると云云。

吾が宗祖の深義は、(けだ)立正観抄送状三十八・十七の意は、与えては迹門の(ぶん)(ざい)と為し、(うば)っては権大乗別教の分斉と為すなり。(けだ)し此の中の(だつ)の辺は、(しばら)く当世の天台宗の、止観は法華に勝るるの(びゃっ)(けん)を破せんが為なり。故に実義には非ざるなり。()し実義を論ずれば迹門の意と為す。故に「檀那流の義(もっと)(よき)なり」と云うなり。

十章抄三十・二十八の意は、(さき)の六重は迹門の意、第七の正観は本門の意なり。安心録(あんじんろく)三十に此の両文を()して云く「附文・元意(がんい)」云云。此の義は理を()くすに非ざるなり。

(いわ)く、迹門は理を明かす、所謂(いわゆる)諸法実相(じっそう)是れなり。本門は事を明かす、所謂因果国是れなり。又迹門は(ただ)百界(ひゃっかい)千如(せんにょ)を明かして(いま)だ国土世間を明かさず。本門は(すなわ)ち一念三千を明かす。(しか)るに止観の(こころ)(まさ)しく理の一念三千を明かす。三千を明かすと雖も、(しか)も是れ()()なり。故に迹門の(こころ)と云うなり。理具を明かすと雖も、而も是れ三千なり。故に本門の意と云うなり。両判有りと雖も、(ただ)是れ(めん)()()(もく)なり。(つい)に相違の義に非ざるなり。

本尊抄八・二十七に云く「南岳・天台等と示現(じげん)し出現して迹門を以て(おもて)と為し本門を以て(うら)と為して百界千如・一念三千()の義を尽せり。(ただ)()()を論じて()(ぎょう)の南無妙法蓮華経の五字並びに本尊、未だ広く(これ)を行ぜず」等云云。


                   つづく
撰時抄愚記上 目次


by johsei1129 | 2015-11-13 22:24 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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