人気ブログランキング |

日蓮大聖人『御書』解説

nichirengs.exblog.jp
ブログトップ
2015年 11月 11日

亡き父の追善供養のため妙法蓮華経の題名五万返を唱えた内房女房を称えた書【内房女房御返事】

【内房女房御返事】
■出筆時期:弘安三年(1280年)八月十四日 五十九歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は駿河国庵原郡内房に住む女性信徒・内房女房が、父親の百箇日忌の追善供養のために銭十貫と願文を大聖人に送られた事への長文の返書となっております。
内房女房は願書で「妙法蓮華経一部読誦し奉る、方便寿量品三十巻読誦し奉る。自我偈三百巻唱え奉る、妙法蓮華経の題名五万返」と記され、内房女房の亡き父の成仏を願う思いの強さが思いやられます。大聖人はこの願書に対し「先例を尋ぬるに(略)いまだ五万返の類を聞かず」と、内房女房の志をこれまで例がないとつよく讃えられておられます。

さらに大聖人は「釈尊御入滅の後六十日を過ぎて迦葉等の一千人・文殊等の八万人・大閣講堂にして集会し給いて<中略>阿難尊者を高座に登せて仏を仰ぐ如く、下座にして文殊師利菩薩・南無妙法蓮華経と唱へたりしかば、阿難尊者此れを承け取りて如是我聞と答ふ」と記され、釈尊の弟子による仏典の結集 にまで及んで法華経の真髄を説かれておられます。

内房女房は願書に「幽霊生存の時弟子遥に千里の山河を凌(しの)ぎ親(まのあた)り妙法の題名を受け然る後三十日を経ずして永く一生の終りを告ぐ(略)弘安三年女弟子大中臣氏敬白す」と父親か亡くなる前、病身にもかかわらず遥々身延の大聖人のもとを尋ねられ、妙法の題名つまり御本尊を授与された事を記載されています。恐らく内房女房は身延から戻られた父親から、大聖人の威徳と法華経の偉大さを伝え聞いたと思われ、そのことが父の死後百日間で妙法蓮華経一部、方便寿量品三十巻、自我偈三百巻、妙法蓮華経の題名五万返を唱えるという行に向かわせたのだと思われます。現代人の多くが失ってしまった後生善処の考えを、内房女房の行は改めて思い起こさせてくれるような気がします。
■ご真筆:現存しておりません。

[内房女房御返事 本文]

内房よりの御消息に云く八月九日父にてさふらひ(候)し人の百箇日に相当りてさふらふ、御布施料に十貫まいらせ候乃至あなかしこあなかしこ。

御願文の状に云く「読誦し奉る妙法蓮華経一部、読誦し奉る方便寿量品三十巻、読誦し奉る自我偈三百巻、唱え奉る妙法蓮華経の題名五万返」云云。同状に云く「伏して惟(おもんみ)れば先考の幽霊生存の時弟子遥に千里の山河を凌ぎ親り妙法の題名を受け然る後三十日を経ずして永く一生の終りを告ぐ」等云云、又云く「嗚呼(ああ)閻浮の露庭に白骨仮りに塵土(じんど)と成るとも霊山の界上に亡魂定んで覚蕊(かくずい)を開かん」又云く「弘安三年女弟子大中臣(おおなかとみ)氏敬白す」等云云。

夫れ以れば一乗妙法蓮華経は月氏国にては一由旬(ゆじゅん)の城に積み日本国にては唯八巻なり、然るに現世後生を祈る人或は八巻或は一巻或は方便寿量或は自我偈等を読誦し讃歎して所願を遂げ給ふ先例之多し此は且らく之を置く、唱へ奉る妙法蓮華経の題名五万返と云云、此の一段を宣べんと思いて先例を尋ぬるに其の例少なし、或は一返・二返唱へて利生を蒙る人粗これ有るか。

いまだ五万返の類を聞かず、但し一切の諸法に亘りて名字あり其の名字皆其の体徳を顕はせし事なり、例せば石虎将軍と申すは石の虎を射徹したりしかば石虎将軍と申す、的立(まとだて)の大臣(おとど)と申すは鉄的を射とをしたりしかば的立の大臣と名く、是皆名に徳を顕はせば今妙法蓮華経と申し候は一部八巻・二十八品の功徳を五字の内に収め候、譬へば如意宝珠の玉に万の宝を収めたるが如し、一塵(いちじん)に三千を尽す法門是なり。

南無と申す字は敬う心なり随う心なり、故に阿難尊者は一切経の如是の二字の上に南無等云云、南岳大師云く南無妙法蓮華経云云、天台大師云く稽首(けいしゅ)南無妙法蓮華経云云、阿難尊者は斛飯(こくぼん)王の太子・教主釈尊の御弟子なり、釈尊御入滅の後六十日を過ぎて迦葉等の一千人・文殊等の八万人・大閣講堂にして集会し給いて仏の別を悲しみ給ふ上、我等は多年の間・随逐するすら六十日の間の御別を悲しむ、百年・千年・乃至末法の一切衆生は何をか仏の御形見とせん、六師外道と申すは八百年以前に二天・三仙等の説き置きたる四韋陀(いだ)・十八大経を以てこそ師の名残とは伝へて候へ、いざさらば我等五十年が間・一切の声聞・大菩薩の聞き持ちたる経経を書き置きて未来の衆生の眼目とせんと僉議(せんぎ)して、阿難尊者を高座に登せて仏を仰ぐ如く、下座にして文殊師利菩薩・南無妙法蓮華経と唱へたりしかば、阿難尊者此れを承け取りて如是我聞と答ふ、九百九十九人の大阿羅漢等は筆を染めて書き留め給いぬ、一部八巻・二十八品の功徳は此の五字に収めて候へばこそ文殊師利菩薩かくは唱へさせ給うらめ、阿難尊者又さぞかしとは答え給うらめ、又万二千の声聞・八万の大菩薩・二界八番の雑衆も有りし事なれば合点せらるらめ、天台智者大師と申す聖人・妙法蓮華経の五字を玄義十巻・一千丁に書き給いて候、其の心は華厳経は八十巻・六十巻・四十巻・阿含経数百巻・大集方等数十巻・大品般若四十巻・六百巻・涅槃経四十巻・三十六巻、乃至月氏・竜宮・天上・十方世界の大地微塵の一切経は妙法蓮華経の経の一字の所従なり、妙楽大師重ねて十巻造るを釈籤(しゃくせん)と名けたり、天台以後に渡りたる漢土の一切経・新訳の諸経は皆法華経の眷属なり云云、日本の伝教大師重ねて新訳の経経の中の大日経等の真言の経を皆法華経の眷属と定められ候い畢んぬ、但し弘法・慈覚・智証等は此の義に水火なり此の義後に粗書きたり、譬へば五畿・七道・六十六箇国・二つの島・其の中の郡と荘と村と田と畠と人と牛馬と金銀等は皆日本国の三字の内に備りて一つも闕(か)くる事なし、又王と申すは三の字を横に書きて一の字を豎(たて)さまに立てたり、横の三の字は天・地・人なり、豎の一文字は王なり、須弥山と申す山の大地をつきとをして傾かざるが如し、天・地・人を貫きて少しも傾かざるを王とは名けたり、王に二つあり一には小王なり人王天王是なり二には大王なり大梵天王是なり、日本国は大王の如し国国の受領等は小王なり、華厳経・阿含経・方等経・般若経・大日経・涅槃経等の已今当(いこんとう)の一切経は小王なり、譬へば日本国中の国王・受領等の如し、法華経は大王なり天子の如し、然れば華厳宗・真言宗等の諸宗の人人は国主の内の所従等なり、国国の民の身として天子の徳を奪ひ取るは下剋上・背上向下・破上下乱等これなり、設(たと)いいかに世間を治めんと思ふ志ありとも国も乱れ人も亡びぬべし、譬へば木の根を動さんに枝葉静なるべからず・大海の波あらからんに船おだやかなるべきや、華厳宗・真言宗・念仏宗・律僧・禅僧等我が身持戒正直に智慧いみじく尊しといへども、其の身既に下剋上の家に生れて法華経の大怨敵となりぬ、阿鼻大城を脱るべきや、例せば九十五種の外道の内には正直有智の人多しといへども、二天・三仙の邪法を承けしかば終には悪道を脱るる事なし。

然るに今の世の南無阿弥陀仏と申す人人・南無妙法蓮華経と申す人を或は笑ひ或はあざむく、此れは世間の譬に稗(ひえ)の稲(いね)をいとひ家主の田苗を憎む是なり、是国将なき時の盗人なり日の出でざる時のうぐろもち(鼴)なり、夜打強盗の科(とが)めなきが如く地中の自在なるが如し、南無妙法蓮華経と申す国将と日輪とにあはば大火の水に消へ猿猴(えんこう)が犬に値うなるべし、当時南無阿弥陀仏の人人・南無妙法蓮華経の御声の聞えぬれば、或は色を失ひ或は眼を瞋(いか)らし或は魂を滅し或は五体をふるふ、伝教大師云く日出れば星隠れ巧(たくみ)を見て拙きを知る、竜樹菩薩云く謬辞(びゅうじ)失い易く邪義扶(たす)け難し、徳慧菩薩云く面に死喪の色有り言に哀怨の声を含む、法歳云く昔の義虎今は伏鹿(ふくろく)なり等云云、此等の意を以て知ぬべし、妙法蓮華経の徳あらあら申し開くべし、毒薬変じて薬となる、妙法蓮華経の五字は悪変じて善となる、玉泉と申す泉は石を玉となす此の五字は凡夫を仏となす、されば過去の慈父尊霊は存生に南無妙法蓮華経と唱へしかば即身成仏の人なり、石変じて玉と成るが如し孝養の至極と申し候なり、故に法華経に云く「此の我が二(ふた)りの子已に仏事を作しぬ」又云く「此の二りの子は是我が善知識なり」等云云。

乃往(むかし)過去の世に一の大王あり名を輪陀と申す、此の王は白馬の鳴くを聞きて色も・いつくしく力も強く供御を進らせざれども食にあき給ふ他国の敵も冑を脱き掌(たなごころ)を合す、又此の白馬鳴く事は白鳥を見て鳴きけり、然るに大王の政や悪しかりけん又過去の悪業や感じけん、白鳥皆失せて一羽もなかりしかば白馬鳴く事なし、白馬鳴かざりければ大王の色も変じ力も衰へ身もかじけ謀(はかりごと)も薄くなりし故に国既に乱れぬ、他国よりも兵者(つわもの)せめ来らんに何とかせんと歎きし程に、大王の勅宣に云く国には外道多し、皆我が帰依し奉る仏法も亦かくの如し、然るに外道と仏法と中悪し、何にしても白馬を鳴かせん方を信じて一方を我が国に失ふべしと云云、爾の時に一切の外道集りて白鳥を現じて白馬を鳴かせんとせしかども白鳥現ずる事なし、昔は雲を出だし霧をふらし風を吹かせ波をたて身の上に火を出だし水を現じ人を馬となし馬を人となし一切自在なりしかども如何がしけん、白鳥を現ずる事なかりき、爾の時に馬鳴(めみょう)菩薩と申す仏子あり十方の諸仏に祈願せしかば白鳥則出で来りて白馬則鳴けり、大王此を聞食(きこしめ)し色も少し出で来り力も付きはだへ(膚)もあざやかなり、又白鳥又白鳥と千の白鳥出現して千の白馬一時に鶏の時をつくる様に鳴きしかば、大王此の声を聞食し色は日輪の如し膚は月の如し力は那羅延(ならえん)の如し謀は梵王の如し、爾の時に綸言(りんげん)汗の如く出でて返らざれば一切の外道等其の寺を仏寺となしぬ。

今日本国亦かくの如し、此の国は始めは神代(かみよ)なり、漸(ようや)く代の末になる程に人の意(こころ)曲り貪瞋癡(とんじんち)・強盛なれば神の智浅く威も力も少し、氏子(うじこ)共をも守護しがたかりしかば・漸く仏法と申す大法を取り渡して人の意も直に神も威勢強かりし程に、仏法に付き謬(あやま)り多く出来せし故に国あやうかりしかば、伝教大師漢土に渡りて日本と漢土と月氏との聖教を勘へ合せて、おろかなるをば捨て、賢きをば取り偏頗(へんぱ)もなく勘へ給いて、法華経の三部を鎮護国家の三部と定め置きて候しを、弘法大師・慈覚大師・智証大師と申せし聖人等、或は漢土に事を寄せ或は月氏に事を寄せて法華経を或は第三・第二・或は戯論(けろん)・或は無明の辺域等と押し下し給いて、法華経を真言の三部と成さしめて候いし程に、代漸く下剋上し此の邪義既に一国に弘まる、人多く悪道に落ちて神の威も漸く滅し氏子をも守護しがたき故に八十一乃至八十五の五主は或は西海に沈み或は四海に捨てられ・今生には大鬼となり後生は無間地獄に落ち給いぬ、然りといえども此の事知れる人なければ改る事なし、今日蓮此の事をあらあら知る故に国の恩を報ぜんとするに日蓮を怨み給ふ。

此等はさて置きぬ氏女の慈父は輪陀王の如し氏女は馬鳴菩薩の如し、白鳥は法華経の如し・白馬は日蓮が如し・南無妙法蓮華経は白馬の鳴くが如し、大王の聞食して色も盛んに力も強きは、過去の慈父が氏女の南無妙法蓮華経の御音(みこえ)を聞食して仏に成せ給ふが如し。

弘安三年八月十四日 日 蓮 花 押
内房女房御返事





by johsei1129 | 2015-11-11 18:45 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://nichirengs.exblog.jp/tb/24662338
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。


<< 撰時抄愚記 上二八      釈迦仏等の仏の法華経の文字を敬... >>