【妙心尼御前御返事】
■出筆時期:建治元年(1275年)八月二十五日 五十四歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は高橋六郎兵衛入道の妻、妙心尼に宛てられた消息です。
「幼き人の御ために御守り授け参らせ候。この御守りは法華経の内の肝心、一切経の眼目にて候」と記され、夫の高橋入道が重病に臥しているため、早晩幼子を見守る父が亡くなることは避けられず、その父の身代わりとして「お守り御本尊」をご下付されたものと思われます。
妙心尼は日興上人の叔母と伝えられており、夫亡きあとは故郷、駿河富士郡西山の窪(くぼ)に移居され生涯大聖人に帰依し続けた強信徒でありました。また窪に住んでいたことから窪尼とも称されました。窪尼は生涯大聖人から多くの消息を与えられておられ、妙心尼として六通、窪尼として七通が伝えられておられます。
■ご真筆:現存しておりません。古写本:日興上人筆(富士大石寺蔵)
[本文]
すずの御志・送り給び候い了んぬ。
おさなき人の御ために・御まほ(守)りさづけまいらせ候。この御まほりは法華経のうちのかんじん(肝心)・一切経のげんもく(眼目)にて候。
たとへば天には日月・地には大王・人には心・たからの中には如意宝珠のたま、いえ(家)には・はしらのやうなる事にて候。
このまんだら(曼荼羅)を身にたもちぬれば、王を武士のまほるがごとく、子を・をやのあいするがごとく、いを(魚)の水をたのむがごとく、草木のあめ(雨)をねが(楽)うがごとく、とり(鳥)の木をたのむがごとく、一切の仏神等のあつまり・まほり、昼夜に・かげのごとく・まほらせ給う法にて候。よくよく御信用あるべし。あなかしこ・あなかしこ、恐恐謹言。
八月二十五日 日 蓮 花 押
妙心尼御前御返事