人気ブログランキング | 話題のタグを見る

日蓮大聖人『御書』解説

nichirengs.exblog.jp
ブログトップ
2015年 11月 07日

撰時抄愚記 上二五  元寇の勝利は神力にして二つの所以あり


一 蒙古のせめ乃至
兵難(ひょうなん)()うべし等

王代一覧の五に「文永十一年(1274)十月(きた)る」云云

問う、太平記三十九の、大元、日本を責めるの文に(じゅん)ずるに、吾が国(すで)に勝利を得たり。蓮祖の兼讖(けんしん)(あに)当らざるに非ずや。(注:兼讖=今までの予言。兼は「かねて」の意。(しん)は予言・未来記の意味)

答う、(しばら)く二意を示す。

(いわ)く、此れは是れ大悲忠諌(ちゅうかん)の辞なり。(たと)えば父の一子の(あやまち)()むるに「(なんじ)若し其の過を改めずんば、後には必ず(まさ)に身を(ほろぼ)し家を亡すべし」と云うが如し。其の意、実には身を(まっと)うし、家を全うせしめるに()(あに)子を思うの心親切なるに非ずや。蓮師、(また)(また)是くの如し。謗者の(あやまち)()げて蒙古の責を(のが)(がた)しと云うと(いえど)も、その(こころ)、実には国を安んじ、身を全うせしむるに在り。(あに)大悲の心(せつ)なるに非ずや。

又今は是れ人力(じんりき)(ぶん)(ざい)に約す。謂く、()(ただ)人力に()らば実に退治し難きに()。故に太平記に云く「文永・弘安両度の合戦(かっせん)、小国の力にて退治し難かりしかども、(たやす)く大元を亡ぼし、吾が国無為(むい)なる事は(ただ)尊神霊神の(みょう)(じょ)()るなり」と。又云く「蒙古の兵、一時に(ほろ)びし事は、全く我が国の武勇には非ずして、大小の神祇(じんぎ)(みょう)(じょ)()るなり」云云。(けだ,)()し、神力に()って勝利を得れば今の所論に非ざるなり。

問う、()し神力に依らば、(あに)(かみ)天上(てんじょう)の法門に(たが)うに非ずや。

答う、(およ)そ神天上とは是れ(ぼう)(しゃ)の前に約するなり。若し信者の前に約すれば、諸神(つね)(いただき)()するなり。譬えば水(にご)れば則ち月(かげ)を移さず、水(きよ)ければ則ち(すぐ)に影を移すが如し云云。

(しか)るに我が国の神明(しんめい)(みょう)(じょ)を加うる所以(ゆえん)は又二意あり。

一には鎌倉殿の改悔(かいげ)()るなり。謂く、一往(いちおう)(ざん)を信じて刑罰を行うと雖も、(つい)に之を赦免(しゃめん)し、永く妙法を弘めしむ。故に霊神冥助を加うるなり。(これ)を思え云云。

二には蓮祖師の(しょう)()に由るなり。佐渡抄十四・十に云く「日蓮は幼若(ようにゃく)の者なれども法華経を(ひろ)むれば釈迦仏の御使ぞかし(乃至)教主釈尊の御使なれば天照太神・正八幡宮(はちまんぐう)(こうべ)かたぶ()け手を合せて地に伏し給うべき事なり(乃至)かかる日蓮を用いぬるとも()しくうや()まはば国亡ぶべし、(いか)(いわん)や数百人ににく()ませ二度まで流しぬ、此の国の亡びん事疑いなかるべけれども(しばら)く禁をなして国をたすけ給へと日蓮が()かうればこそ今までは安穏(あんのん)にありつれ」等云云。此の抄の(こころ)を以て(これ)を知るべきなり。

一 教主釈尊(しる)して云く等

此の下は疑念を(しゃ)す、二あり。初めに疑念を(ちょう)す。即ち両向あり。謂く、(まさ)に法華経の行者と云わんとすれば、(すで)に謗者に現罰なし。将に法華経の行者に非ずと云わんとすれば、(まさ)に誰人を以て法華経の行者とせん。既に「()く此の経を説く」。故に(さだ)んで法華経の行者なるべし等云云。

一 いかにいかに()もうところ()

此の下は次に(まさ)しく疑念を(しゃ)するなり。謗者()し一人二人ならば、頭破(ずは)()(そく)もあるべし。(しか)るに(いま)上一人より下万民に至るまで、日本国中(みな)是れ謗者なり。譬えば(みな)白髪と成れば(すなわ)ち抜き捨て(がた)きが如し。故に「頭破口塞の()かりけるは道理にて候」と云うなり。

然るに蓮祖は(えん)()第一の法華経の行者なり。故に之を(あだ)む等の人は閻浮第一の大罰を(こうむ)るなり。所謂(いわゆる)、正嘉の大地震、文永の大彗星是れなり。是れ則ち謗者の罰の大なるに寄せて(のう)()の師徳の大なることを顕すなり。

一 ()等をみよ等

此の下は第五に、上来の意を結して(まさ)しく師徳の大なることを成ずるなり。故に「此の徳はたれ()か一天に眼を合せ、四海に肩をならぶべきや」と云うなり。


                    つづく

撰時抄愚記 上二五  元寇の勝利は神力にして二つの所以あり_f0301354_18020718.jpg
     日蓮大聖人御一代記より


撰時抄愚記上 目次



by johsei1129 | 2015-11-07 16:30 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


<< 日蓮門下の大檀那富木常忍に「不...      撰時抄愚記 上二四 >>