九月十八日
第十四段 能弘の師徳を顕す
一 此の事一定ならば等文。
此の下は第二、謗者の現罰の大なるに寄せて、能弘の師徳の大なることを顕す。文を分ちて五と為す。初めの四字は上を承けて下を起す。二に「闘諍」の下は正釈。三に「提婆」の下は先例を引いて以て当来を示す。四に「教主」の下は疑念を遮す。五に「此等」の下は結成なり云云。
初めの「此の事一定」とは、上の必ず応に流布すべきを承けて、下の能弘の師徳を起すなり云云。
一 闘諍堅固の時等文。
此の下は正釈、又二あり。初めに外用浅近の故に「仏の御使」と云う、日蓮は即ち是れ上行菩薩なり云云。
若し門流の意は、仍是れ外用浅近と習うなり。「日本国の王臣と並びに万民」等とは是れ能謗の人を挙ぐるなり。「仏の御使」等とは即ち所謗の蓮祖聖人の御事なり。若し要文所引の句逗の如くんば「日本国の王臣と並びに万民」は即ち是れ「仏の御使」なり。恐らくは当抄の意に違うなり。学者之を思え。
一 然るに法華経をひろむる者等云云。
此の下は正釈の中の第二に内証深秘あり。故に「主師親」と云うなり。蓮祖即ち是れ久遠元初の本因妙の教主釈尊なり。秘すべし、秘すべし云云。
一 日月いかでか彼等等文。
大師の光明文句に云く「忽ちに恩に違い義に背いて、而して殺逆を行わんや。天は大なりと雖も此の人を覆わず、地は厚しと雖も此の人を載せず」等云云。光明記の三・四十一。
一 地神いかでか彼等の足等文。
録外四・二十紙、往いて見よ。
一 提婆達多等文。
此の下は第三に、先例を引いて以て当来を示すなり。謂く「提婆」等は先例なり。「蒙古のせめ」は当来の事を示すなり。謂く、当抄は建治元年(1275)乙亥の述作なり。第三の「高名」の下、之を思え。
而る後第七年に当り、弘安四年(1281)五月、蒙古数万の軍兵を率いて日本国に寄せ来れり。今此の事を指して「蒙古のせめ」と云うなり。当来を示すに非ずや。
つづく
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