■出筆時期:建治元年(1275年)八月十八日 五十四歳歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は南条時光が家を新築するにあたり大聖人に
「棟礼」を願い出たことへの返書となっております。
大聖人は、須達長者が釈尊に寄進した
祇園精舎の火災の因縁と釈尊がこの文を唱へれば火災が起きないという故事を引いて、この「聖主天中天・迦陵頻伽声(かりょうびんが・しょう)・哀愍衆生者・我等今敬礼」と言う文は、「今以てかくの如くなるべく候。返す返す信じ給うべき経文なり」と説いて、この文を記された「棟礼」を伯耆公(日興上人)にもたせたものと思われます。(参考
迦陵頻伽)
尚、時光の屋敷がその後火災にあったとの記録はなく、日興上人が身延離山後、時光は自領地を日興上人に寄進し、現在の富士大石寺の基盤を作られた開基檀那となります。
■ご真筆:現存しておりません。
[上野殿御書 本文]
態(わざ)と御使い有難く候。夫れについては屋形造(やかたづくり)の由、目出度くこそ候へ。何(いつ)か参り候いて移徙(わたまし)申し候はばや。
一、棟札の事承り候。書き候いて此の伯耆公に進(まいら)せ候。
此の経文は須達(しゅだつ)長者・祇園精舎を造りき。然るに何なる因縁にやよりけん。須達長者七度まで火災にあひ候時、長者此の由を仏に問い奉る。仏・答えて曰(のたまわ)く、汝が眷属・貪欲深き故に此の火災の難起るなり。
長者申さく・さていかん(如何)して此の火災の難をふせぎ申すべきや。仏の給はく、辰巳(たつみ)の方より瑞相あるべし。汝・精進して彼の方に向かへ。彼方(あなた)より光ささば鬼神三人来たりて云わん。南海に鳥あり、鳴忿(めふん)と名く。此の鳥の住処に火災なし。又此の鳥・一つの文(もん)を唱うべし。其の文に云く「聖主天中天・迦陵頻伽声・哀愍衆生者・我等今敬礼」云云。此の文を唱へんには必ず三十万里が内には火災をこらじと。此の三人の鬼神かくの如く告ぐべきなり云云。
須達・仏の仰せの如くせしかば・少しも・ちがはず候いき。其の後・火災なきと見えて候。これに依りて滅後・末代にいたるまで此の経文を書きて火災をやめ候。今以てかくの如くなるべく候。返す返す信じ給うべき経文なり。是は法華経の第三の巻・
化城喩品に説かれて候。委しくは此の御房に申し含めて候。恐恐謹言。
八月十八日 日 蓮 花 押
上野殿御返事