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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 23日

仏を供養する功徳よりもすぐれて候なれば仏にならせ給はん事疑いなし、と説いた【高橋殿御返事】

【高橋殿御返事】
■出筆時期:建治元年(1275年)七月二十六日 五十四歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は日興上人の叔母で、駿河国富士・賀島に住む高橋六郎兵衛入道の妻妙心尼(後の窪尼)に与えられた消息です。
本抄で大聖人は「なによりも入道殿の御所労なげき入って候」と記されおられるように、夫の高橋六郎兵衛入道は重い病に罹っており、その平癒のために妙心尼は剃髪し出家したと思われます。
大聖人は法華経の法師品を文を引いて「一劫が間・釈迦仏を種種に供養せる人の功徳と末代の法華経の行者を須臾も供養せる功徳とたくらべ候に、其の福・復彼に過ぐと」記され、妙心尼の種々の供養は釈迦仏に一劫という長い間供養する功徳より優れていると称えられておられます。
また夫の病状については「しばらくいき(生き)させ給いて法華経を謗ずる世の中御覧あれと候へ」伝え、少しでも生きながらえて、日蓮を二度も島流しにした日本国の人々がどうなるかよく見ておくように伝えてくださいと妙心尼を慰められておられます。これは死を目前にした高橋入道に生きる目標を与えた大聖人の慈悲であると拝されます。

尚大聖人は本抄を記した二十日後の八月十六日にも夫の病気回復を願う妙心尼を励ます手紙を送られておられます。妙心尼御前御返事(病之良薬御書)
■ご真筆:現存しておりません。古写本:日興上人筆(富士大石寺蔵)

[高橋殿御返事 本文]

 瓜一篭(ひとこ)・ささげひげ(豇豆穂尖)・こえだまめ(小枝豆)・ねいも(根芋)かうのうり(河海苔)・給び候い畢んぬ。
 付法蔵経と申す経には・いさごのもちゐ(餅)を仏に供養しまいらせし・わら(童)は、百年と申せしに・一閻浮提の四分が一の王となる。所謂阿育大王これなり。
 
 法華経の法師品には而於一劫中と申して一劫が間・釈迦仏を種種に供養せる人の功徳と末代の法華経の行者を須臾(しばらく)も供養せる功徳と・たくら(比)べ候に、其の福・復彼に過ぐと申して法華経の行者を供養する功徳すぐれたり。これを妙楽大師釈して云く「供養すること有らん者は福十号に過ぐ」と云云。されば仏を供養する功徳よりもすぐれて候なれば・仏にならせ給はん事疑いなし。其の上女人の御身として尼とならせ給いて候なり。いよいよ申すに及ばず。

 但しさだめて念仏者にてや・をはすらん。たうじの念仏者・持斎は国をほろぼし、他国の難をまねくものにて候。日本国の人人は一人もなく日蓮がかたきとなり候いぬ。梵王・帝釈・日月・四天のせめをかほりて・たうじのゆき(壱岐)・つしまのやうになり候はんずるに、いかがせさせ給うべき・いかがせさせ給うべき。
 なによりも入道殿の御所労なげき入って候。しばらく(少時)いきさせ給いて法華経を謗ずる世の中御覧あれと候へ。日本国の人人は大体はいけどりにせられ候はんずるなり。
 日蓮を二度までながし、法華経の五の巻をもてかうべを打ち候いしは、こ(懲)り候はんずらむ。

 七月二十六日   日 蓮 花押

   御返事




by johsei1129 | 2019-10-23 21:18 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)


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