【上野殿御返事】
■出筆時期:建治元年(1275年)七月十六日 五十四歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は上野殿(南条時光)が、浅間神社(現富士山本宮浅間大社)の造営に伴う寄付などで経済的に苦労されている中、いつもと変わらぬ種々の供養をされたことへの返書となっております。
大聖人は「山の中の住い・さこそと思ひやらせ給いて鳥のかい(卵)子をやしなう如く・法華経の御命をつがせ給う事、三世の諸仏を供養し給へるにてあるなり」と記され、身延山中に暮らす大聖人の暮らしぶりを心配され供養されることは、末法の法華経の行者(日蓮)の御命を継がせ、三世の諸仏を供養することになると時光の志を讃えられておられます。
■ご真筆:富士大石寺(第1紙)所蔵(一般非公開)。京都市要法寺(末尾断簡)所蔵。古写本:日興上人筆(富士大石寺蔵)

[要法寺蔵・真筆本文:下記緑字箇所]
[上野殿御返事 本文]
むぎ・ひとひつ(一櫃)・かわのり五条・はじかみ(薑)六十給び了んぬ。
いつもの御事に候へばをどろかれず・めづらしからぬやうに・うちをぼへて候は・ぼむぶ(凡夫)の心なり。
せけん(世間)そうそう(匆匆)なる上、ををみや(大宮)のつくられさせ給へば、百姓と申し・我が内(日蓮門下)の者と申し・けかちと申し・ものつくりと申し、いくそ(許多)ばく・いとまなく御わたりにて候らむに、山のなかの
すまゐ(栖)・さこそと思ひやらせ給いて、鳥のかい(卵)子をやしなふが如く、灯(ともじび)に油をそふるがごとく、か(枯)れたる草に雨のふるが如く、うへ(飢え)たる子に乳(ち)をあたふるが如く、法華経の御命をつがせ給う事、三世の諸仏を供養し給へるにてあるなり。
十方の衆生の眼(まなこ)を開く功徳にて候べし。尊しとも申す計りなし。あなかしこ・あなかしこ・恐恐謹言。
七月十六日 日蓮 花押
進上 上野殿御返事