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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 11月 03日

撰時抄愚記 上二十

 
  第十一段 日本に六宗の伝来


一 像法に入って四百余年等

此の下は二に日本(でん)()、二あり。初めに六宗の伝来、二に「其の後」の下は天台宗の弘通(ぐつう)なり。

一 (しん)(じょう)大徳・新羅(しらぎ)国より華厳宗をわたして等

実には道璿(どうせん)律師、華厳の章疏(しょうしょ)を渡すなり。(しか)るに「審祥」は最初講演の師なり。故に功を推して「審祥渡す」と云うなり。註(なら)びに啓蒙()いて見よ。

一 (ろう)(べん)僧正等

釈書二十六に始終(つまび)らかなり。往いて見よ。

一 大仏を立てさせ給えり

釈書二十八・十二に「天平(てんぴょう)元年十月二十四日、大像()る。年を()ること三歳にして改鋳(かいちゅう)すること八度、御(たけ)十六(じょう)、殿の高さ十五丈六尺、東西二十九丈、南北十七丈、東西の両塔の高さ二十三丈云云。帝(みずか)ら其の縄を引き像模(ぞうも)を造る」等と云云。(しょう)()(ろう)(べん)前身(ぜんしん)流沙(りゅうさ)の約束の事、釈書二十八・十二。

九月十二日

一 (がん)(じん)和尚(わじょう)・天台宗と律宗をわたす。

伝通記下四に云く「鑑真来朝の時、随身の聖教広多にして一に非ず。()(なか)、律宗の諸典、天台の諸文、齎持(せいじ)すること是れ多し」云云。(注:齎持=持ち行くこと。齎はもたらす意)

一 小乗の戒()を東大寺に建立等

問う、釈書一十五(がん)(じん)伝の下に云く「(しょう)()上皇、正議太夫()吉備(きび)(つか)わして伝宣して曰く、『(ちん)、東大寺を造り(すで)に十年、此の土に(いま)だ戒壇有らず。願わくは師(これ)(いとな)め』と。(じん)(うやま)いて(みことのり)を受く。上皇、大いに(よろこ)んで菩薩戒を受く。皇帝、皇后、太子、公卿(くぎょう)已下(いげ)、同じく受くる者四百三十余人、(すなわ)ち大殿の西に(おい)て戒壇院を構う。天下今に至って羯磨(かつま)(たす)く」文。(注:羯磨=梵名Karmaカルマ、事・所作・業・作法などと訳す)

又伝通記の下四に云く「(しょう)(ほう)六年(きのえ)(うま)四月、初めて盧舎那(るしゃな)殿(でん)の前に於て戒壇を立つ、天皇初めに登壇して菩薩戒を受け、次に皇后、太子(また)登壇して受戒したもう。(しょ)(りゅう)の戒場に三重の壇有り。大乗の菩薩の三聚(さんじゅ)(じょう)(かい)を表す。故に第三重に於て多宝の塔を()く。塔中(たっちゅう)に釈迦・多宝二仏の像を安き、一乗深妙の理智冥合(みょうごう)の相を表す」云云。

此等の文に(じゅん)ずるに、南都は(まさ)に是れ大乗の戒壇なるべし。何ぞ「小乗の戒壇」と云うや。

答う、是れ小乗の戒壇なり。

一には伝教大師、南都の戒壇を小乗の戒壇と定め(おわ)って顕戒論に破して云く「(たず)ぬるに()(びゃく)()を賜うの(あした)には三車を用いず。家業を得るの(ゆうべ)には何ぞ(じょ)(ふん)(もち)いんや()。故に経に云く『正直(しょうじき)に方便を捨て(ただ)無上道を説く』」等云云。「三車」「除糞」(あに)小乗に非ずや。

二には慈覚大師、顕揚大戒論に南都を破して云く「()し別に菩薩戒無くんば()(しゃく)(ほか)(まさ)に大海無かるべし。()し無しと云わば何ぞ蝦蟆(がま)(ことな)らん。若し有りと許さば(まさ)に知るべし、小戒の外に別に大乗菩薩戒有り」等云云。

太平抄の十五・四に云く「南都の()(みょう)等は戒に全く大小の不同無し。声聞(しょうもん)戒を受くと雖も、()()誓願(せいがん)(おこ)し、無上の仏果を()すれば、是れを菩薩の大僧と名づくるなり」文。

南都の(しょ)(りゅう)既に是れ()くの如し。所以(ゆえ)に慈覚大師(ねんごろ)に之を()(しゃく)するなり。

三には智証大師、(じょう)(がん)九年十月三日の記文に云く「円珍の門弟、南都の小乗劣戒を受く可からず。必ず大乗戒壇院に於て菩薩の別解脱(げだつ)戒を受く可し」等云云。太平記の十五初一の如し云云。

四には三井寺(みいでら)(みょう)(そん)僧正云く「(そもそも)山門(すで)に菩薩の大乗戒壇を建つ。南都(また)声聞の小乗戒を建つ。園城寺(おんじょうじ)何ぞ真言の三摩耶(さんまや)戒壇を建てざらんや」云云。(また)太平記の十五巻の如し。()朱雀院(すざくいん)は人王六十九代なり。白河院(しらかわいん)は七十二代なり。慶命僧正、赤山(せきざん)明神が真言の戒壇を(いまし)むる所以(ゆえん)は是れ宝祚(ほうそ)長久(ちょうきゅう)・天下泰平の為なり。真言亡国、是れを思い知るべし。盛衰の第十云云。

五には(ほう)(ねん)伝記の八に云く「()る時、()秋門(しゅうもん)の女院御懐妊の時、法然は戒師、(こう)(いん)は導師にて参会(さんえ)せらる。公胤問うて云く『東大寺の戒壇四分(しぶん)(りつ)なることは如何(いかん)』と。法然、四分律なるべき道理(つぶさ)に申さる。公胤帰って(かんが)え見らるるに、法然が申し分少しも(ちが)わず。所以に法然を帰敬(ききょう)し給えり」取意。(注:四分律=インド小乗仏教の律書のこと)


 
(びゃく)()とは大百牛車のこと。長者の家が火事になり、中で遊んでいた子供を長者が門外にある三車((よう)(しゃ)鹿車(ろくしゃ)牛車(ごしゃ)助け出し、実際には牛車三車大白牛車とえ長者を、子供一切衆生たと法華経()()品第三に説かれる。

除糞とは「(あくた)の意煩悩糞にとえ小乗煩悩粗末ることをいう法華経第四、長者窮子(ぐうじ)(たとえ)に説かれる長者が粗末なってい家業美服着替。妙法は煩悩を断ぜず、五欲を離れず、仏界を開く意。長者とは仏を意味し、子は二乗(にじょう)であり、ひろく凡夫(ぼんぷ)意味()()


                       つづく
撰時抄愚記上 目次



by johsei1129 | 2015-11-03 16:18 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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