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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 11月 01日

撰時抄愚記 上十九

第四多造塔寺堅固の下 九月七日

 
  第十段 像法の後の五百年の弘経


一 像法の後五百歳

此の下は第四の多造(たぞう)塔寺(とうじ)堅固(けんご)、文に二あり。初めに(しん)(たん)の弘経、二に「像法に入って」の下は日本伝弘。初めに又二あり。初めに三宗流伝、次に「已上」の下は天台宗の衰減なり。初めに(おのずか)ら三あり。初めに法相宗、二に「同じき太宗」の下は華厳(けごん)宗、三に「太宗第四代」の下は真言宗なり。

一 十九年が(あいだ)

玄奘(げんじょう)三蔵は(じょう)(がん)三年に発足(ほっそく)し、同七年に中印度に(いた)り、同十九年の正月に帰着(きちゃく)なり。故に十七年を()るなり。故に開目抄上二十六に「十七年」と云うなり。故に今(まさ)に「十七年」に作るべし云云。又下巻。

西域の十二・二十五に云く「貞観三年仲秋(ちゅうしゅう)(さく)(たん)(もすそ)(かか)げて(みち)(したが)い、(しゃく)(つい)(はる)かに()」云云。若しは仏祖(ぶっそ)通載(つうさい)十一・二十一に云く「貞観七年と云うは王舎(おうしゃ)(じょう)に到る年なり」と。是れ発足の年に非ざるなり。稽古(けいこ)(りゃく)三・四紙に云云、啓蒙の五・五十五。

一 遠くは弥勒(みろく)無著(むじゃく)

西域(さいいき)五十一、開目抄上二十六。

一 近くは(かい)(けん)論師に伝えて等

続高僧伝四・十九に云く「戒賢論師は年百六歳。(じょう)礼讃(らいさん)(おわ)るや並びに命じて()せしめ、問う、(いずこ)より来ると。答う、支那より(きた)り、瑜伽(ゆが)等を学ばんと欲すと。聞き(おわ)って啼泣(ていきゅう)して弟子覚賢を召し、説くに旧事(くじ)を以てす。賢云く、和尚(わじょう)三年前、患困(げんこん)して(とう)()の如し。食せずして死せんと欲するに、金色(こんじき)の人を(ゆめ)む。(いわ)く、汝、身を(いと)(なか)れ。(むかし)国主と()り、多くの物の命を害せり。(まさ)(みずか)()(しゃく)すべし。支那の僧有って(ここ)に来って学問せん。(すで)に道中に在り、三年にして(まさ)に至るべし。法を以て彼に恵まば、(かしこ)(また)流通して、汝が罪自ら滅せん。吾れは是れ文殊(もんじゅ)()()(ことさら)に来って相勧むと。戒賢問う、路に()ること幾時(いくとき)ぞやと。(じょう)云く、三年を出ずるなりと。(すで)に夢と同じ。悲喜(こもごも)(つの)る」等云云。啓蒙の五・五十七。

一 太宗(たいそう)(けん)(のう)なり。

唐書に云く「太宗(いみな)(せい)(みん)、高祖の第二子なり。(ずい)(かい)(こう)十八年に生る。太宗(とし)十四歳のとき書生有り。太宗を見て云く、(りゅう)(ほう)の姿、天日(てんじつ)の表なりと。年、(まさ)に二十にならんとして、世を(すく)い、民を安んぜんと言い(おわ)って所在を失す。済世(さいせい)安民の故に世民と云う」取意。又啓蒙の五・五十六に歴代叙略(じょりゃく)を引く、往いて見よ。仮名政要、今の啓蒙は()(がん)を引く云云。

一 高昌(こうしょう)高麗(こうらい)

「高昌」は唐より西、印度の(さかい)なり。「高麗」は東夷(とうい)九種の第三なり。義師の意は、高麗(こうり)国と云うべきことなれども人は皆高麗(こうらい)と云うなりと。

一 天台宗の学者の中にも等

章安大師も貞観六年八月七日の入滅なり。法相宗は(すで)に帝王御帰依の故に、天台宗は漸々(ぜんぜん)に衰減せるなり。

一 高宗の継母(けいぼ)

是れ初めに()って「継母」と云うなり。(のち)に高宗の(きさき)となれり。啓蒙の十・六十九に()(がん)綱目(こうもく)四十を引く。往いて見よ。


                  つづく
撰時抄愚記上 目次



by johsei1129 | 2015-11-01 16:06 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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