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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 11月 03日

会い難き法華経の共に離れずば、我が身仏に成るのみならず背きし親をも導びきなん、と説いた【兵衛志殿御返事】

【兵衛志殿御返事】    
■出筆時期:建治三年(1277年)十一月二十日 五十六歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■執筆の経緯:本抄は池上兄弟の弟宗長に送られた数多くの消息の中で、最も厳しく且つ大聖人の慈愛あふれる指導が記された消息です。
 大聖人は兄宗仲が二度目の勘当を受けたことを聞き、「このたびゑもん(衛門)の志(さかん)どの(兄宗仲)・かさねて親のかんだう(勘当)あり・とのの御前にこれにて申せしがごとく一定(いちじょう)かんだうあるべし。ひやうへの志(さかん)殿をぼつかなし。ごぜんかまへて御心へあるべしと申して候しなり。今度はとのは一定を(落)ち給いぬと・をぼうるなり。をち給はんをいかにと申す事はゆめゆめ候はず、但地獄にて日蓮をうらみ給う事なかれ。しり候まじきなり」と記し、この度はとの(宗長)はおちる(退転)だろうが、地獄で日蓮を恨むでないと、宗長の退路を断つべく非情とも言える指導をなされておられます。
 さらに本文中段では「武蔵の入道そこばくの所領所従等をすてて遁世あり。まして・わどのばらが・わづかの事をへつらひて心うすくて悪道に堕ちて日蓮をうらみさせ給うな」と記され、僅かの利益のため親や世間にへつらって信仰心が薄くて悪道に落ちて日蓮を恨むなと、重ねて厳しく指導されておられます。

 しかし一方で「必ず三障四魔と申す障いできたれば・賢者はよろこび・愚者は退くこれなり。此の事はわざとも申し・又びんぎにと・をもひつるに御使ひありがたし。堕ち給うならば・よもこの御使ひは・あらじと・をもひ候へば・もしやと申すなり」と記され、本当に退転するならこの度供養を遣わせることはないだろうから、もしや退転しないのではと思うから申し上げるのですと、厳しさの中にも慈愛あふれる言葉をかけられておられます。
 さらに文末では「よくよくをもひ切つて一向に後世をたのまるべし。かう申すとも・いたづらのふみなるべしと・をもへば・かくも・ものうけれども、のちの・をもひでにしるし申すなり」と、宗長が現世の利益を求めるのでなく、あくまで後生善処を願う決断をすることを促されておられます。
 ※尚、この池上兄弟の勘当の顛末については小説日蓮<71弟の宗長を諌暁> を参照してください。

■ご真筆:京都市 妙覚寺(全16紙)所蔵。他一箇所にて第11紙末尾2行の断簡所蔵。
会い難き法華経の共に離れずば、我が身仏に成るのみならず背きし親をも導びきなん、と説いた【兵衛志殿御返事】_f0301354_18403812.jpg

[真筆本文:下記緑字箇所]

[兵衛志殿御返事 本文] 

 かたがたの・ものふ(物夫)二人をもつて・をくりたびて候。その心ざし・弁殿の御ふみに申すげに候。
 さてはなによりも御ために第一の大事を申し候なり。正法・像法の時は世もいまだをとろへず、聖人・賢人も・つづき生まれ候ひき、天も人を・まほり給いき。末法になり候へば人のとんよく(貪欲)やうやくすぎ候ひて・主と臣と・親と子と・兄と弟と諍論ひまなし。まして他人は申すに及ばず。これに・よりて天も・その国をすつれば、三災七難乃至・一二三四五六七の日いでて草木か(枯)れうせ・小大河もつ(尽)き、大地はすみのごとく・をこり、大海はあぶらのごとくになり、けつくは無間地獄より炎(ほのお)いでて・上梵天まで火炎・充満すべし。これてい(是体)の事いでんとて・やうやく世間は・をと(衰)へ候なり。

 皆人のをもひて候は・父には子したがひ、臣は君にかなひ、弟子は師にゐ(違)すべからずと云云。かしこき人も・いやしき者もしれる事なり。しかれども貪欲・瞋恚(しんに)・愚癡と申すさけ(酒)にえいて主に敵し・親をかろしめ・師をあな(侮)づる、つねにみへて候。但師と主と親とに随いてあしき事をば諌(いさめ)ば・孝養となる事は・さきの御ふみにかきつけて候いしかばつねに御らむあるべし。

 ただこのたび・ゑもんの志(さかん)どの(兄宗仲)・かさねて親のかんだうあり。とのの御前にこれにて申せしがごとく・一定(いちじょう)かんだうあるべし。ひやうへ(兵衛)の志(さかん)殿をぼつかなし。ごぜん(御前)かまへて御心へあるべしと申して候しなり。今度は・とのは一定をち給いぬとをぼうるなり。をち給はんを・いかにと申す事はゆめゆめ候はず。但地獄にて日蓮をうらみ給う事なかれ。しり候まじきなり。

 千年の・かるかや(苅茅)も一時にはひ(灰)となる、百年の功も一言にやぶれ候は法のことわりなり。
さえもんの大夫殿は今度・法華経のかたきに・なりさだまり給うとみへて候。えもんのたいうの志殿は今度法華経の行者になり候はんずらん。とのは現前の計(はからい)なれば親につき給はんずらむ。ものぐるわしき人人はこれをほめ候べし。宗盛が親父(おや)入道の悪事に随いて・しのわら(篠原)にて頚を切られし、重盛が随わずして先(さき)に死せし、いづれか親の孝人なる。法華経のかたきになる親に随いて一乗の行者なる兄をすてば、親の孝養となりなんや。せんするところ・ひとすぢに・をもひ切つて兄と同じく仏道をな(成)り給へ。親父は妙荘厳王(みょうしょうごんのう)のごとし、兄弟は浄蔵浄眼なるべし。昔と今はかわるとも法華経のことわりは・たがうべからず。当時も武蔵の入道・そこばくの所領所従等をすてて遁世あり。ましてわどの(和殿)ばらが・わづかの事をへつらひて・心うすくて悪道に堕ちて日蓮をうらみさせ給うな。

 かへすがへす今度とのは堕(おつ)べしと・をぼうるなり。此程の心ざしありつるが・ひきかへて悪道に堕ち給はん事がふびんなれば申すなり。百に一つ、千に一つも日蓮が義につかんとをぼさば・親に向つていい切り給へ。親なれば・いかにも順(したが)いまいらせ候べきが、法華経の御かたきになり給へば・つきまいらせては不孝の身となりぬべく候へば、すてまいらせて兄につき候なり。兄をすてられ候わば・兄と一同と・をぼすべしと申し切り給へ。

 すこしも・をそるる心なかれ。過去遠遠劫より法華経を信ぜしかども仏にならぬ事これなり。しを(潮)のひると・みつと、月の出づると・いると、夏と秋と、冬と春とのさかひ(境)には必ず相違する事あり。凡夫の仏になる又かくのごとし。必ず三障四魔と申す障(さわり)いできたれば賢者はよろこび・愚者は退くこれなり。此の事はわざとも申し・又びんぎ(便宜)にと・をもひつるに・御使ひありがたし。堕ち給うならば・よもこの御使ひは・あらじと・をもひ候へば・もしやと申すなり。

 仏になり候事は此の須弥山にはり(針)をたてて彼の須弥山よりいと(糸)をはなちて、そのいとの・すぐにわたりて・はりのあな(穴)に入るよりもかたし。いわうや・さかさまに大風のふき・むかへたらんは・いよいよかたき事ぞかし。

 経に云く「億億万劫より不可議に至って時に乃(いま)し是の法華経を聞くことを得。億億万劫より不可議に至って諸仏世尊・時に是の経を説きたもう。是の故に行者・仏滅後に於て是くの如きの経を聞いて疑惑を生ずること勿れ」等云云。
此の経文は法華経二十八品の中に・ことにめづらし。
 序品より法師品にいたるまで等覚已下の人天・四衆・八部・其のかずありしかども、仏は但釈迦如来一仏なり。重くてかろきへんもあり。宝塔品より嘱累品にいたるまでの十二品は殊に重きが中の重きなり。其の故は釈迦仏の御前に多宝の宝塔・涌現せり。月の前に日の出でたるがごとし。又十方の諸仏は樹下に御はします、十方世界の草木の上に火をともせるがごとし。此の御前にてせん(選)せられたる文なり。

 涅槃経に云く「昔・無数無量劫より来(このか)た常に苦悩を受く。一一の衆生一劫の中に積む所の骨は王舎城の毘富羅(びふら)山の如く、飲む所の乳汁(ちち)は四海の水の如く、身より出す所の血は四海の水より多く、父母兄弟・妻子眷属の命終に哭泣(こうきゅう)して出だす所の目涙(なんだ)は四大海より多く、地の草木を尽くして四寸の籌(かずとり)と為し、以て父母を数うも亦尽くすこと能わじ」云云。

 此の経文は仏・最後に雙林の本(もと)に臥してかたり給いし御言(みことば)なり。もつとも心をとどむべし。無量劫より已来(このかた)、生むところの父母は十方世界の大地の草木を四寸に切りて・あ(推)てかぞうとも・たるべからずと申す経文なり。此等の父母にはあ(値)ひしかども法華経にはいまだ・あわず。されば父母はまうけやすし、法華経はあひがたし。今度あひやすき父母のことばを・そむきて、あひがたき法華経のとも(友)にはなれずば、我が身・仏になるのみならず、そむきし・をや(親)をもみちびきなん。

 例せば悉達太子は浄飯王の嫡子なり。国をもゆづり位にもつけんと・をぼして・すでに御位につけまいらせたりしを、御心をやぶりて夜中城をにげ出でさせ給いしかば・不孝の者なりと・うらみさせ給いしかども、仏にならせ給うては・まづ浄飯王・麻耶夫人をこそ・みちびかせ給いしか。

 をや(親)という・をやの世をすてて、仏になれと申す・をやは一人もなきなり。これは・とによせ・かくによせて・わどのばらを持斎・念仏者等が・つくり・をとさんために・をやを・すすめをとすなり。両火房は百万反(べん)の念仏をすすめて人人の内をせ(塞)きて法華経のたねを・たたんと・はかるときくなり。極楽寺殿はいみじかりし人ぞかし。念仏者等にたぼらかされて日蓮を怨ませ給いしかば、我が身といい其の一門皆ほろびさせ給う。ただいまは・へちご(越後)の守殿(こうどの)一人計りなり。両火房を御信用ある人はいみじきと御らむあるか。なごへの一門の善光寺・長楽寺・大仏殿立てさせ給いて其の一門のならせ給う事をみよ。又守殿は日本国の主にてをはするが、一閻浮提のごとくなる・かたきをへ(得)させ給へり。

 わどの兄をすてて・あにがあとを・ゆづられたりとも、千万年のさかへ・かたかるべし。しらず又わづかの程にや。いかんが・このよ(此世)ならんずらん。よくよくをもひ切つて一向に後世をたのまるべし。かう申すとも、いたづらのふみ(文)なるべしと・をもへば・かくも・もの(懶)うけれども、のちの・をもひで(思出)に・しるし申すなり。恐恐謹言。

 十一月二十日     日 蓮 花 押

 兵衛志殿御返事




by johsei1129 | 2019-11-03 22:56 | 池上兄弟 | Trackback | Comments(0)


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