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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 11月 03日

池上宗長に、いよいよ張り上げて責むべし設ひ命に及ぶとも少しも怯む事なかれと説いた【兵衛志 殿御返事】

【兵衛志殿御返事】
■出筆時期:建治三年(1277年)八月二十一日 五十六歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■執筆の経緯:本抄は池上兄弟の弟、池上宗長に送られた消息です。
池上兄弟の兄宗仲は、前年に熱心な念仏信者の父により勘当され、弟の宗長が父と兄の狭間で法華経信仰が揺れ動くのをみて、大聖人は本書文末で「此れより後も、いかなる事ありとも、すこしもたゆむ事なかれ。いよいよ、はりあげてせむべし。設ひ命に及ぶともすこしもひるむ事なかれ」と記され、法華経信仰を貫き通すよう厳しく指導されておられます。
尚文中「えもんのたいう(兄宗仲)殿の御文と引き合せて心へさせ給へ」とある御文とは兄弟抄のことと思われます。

大聖人が池上兄弟に送られた消息は、圧倒的に弟・宗長(兵衛志殿)に宛てられた書が多く、これは二度の勘当でも大聖人に帰依し続けた兄・宗仲(衛門太夫)には絶対的な信頼を持っていたことと、弟・宗長の揺れ動く信心を如何に心配されていたか、伺い知ることができます。
■ご真筆:京都市 立本寺所蔵。
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[真筆本文:下記緑字箇所]

[兵衛志殿御返事 本文]

鵞目二貫文・武蔵房円日を使(つかい)にて給び候い畢んぬ。

人王三十六代・皇極天皇と申せし王は女人にてをはしき、其の時入鹿(いるか)の臣(おみ)と申す者あり、あまり・おごりの・ものぐる(狂)わしさに王位を・うばはんと・ふるまいしを、天皇王子等不思議とはをぼせしかども・いかにも力及ばざりしほどに、大兄(おおえ)の王子・軽(かる)の王子等なげかせ給いて中臣の鎌子と申せし臣に申しあわせさせ給いしかば、臣申さく・いかにも人力はかなうべしとは・みへ候はず、馬子が例をひきて教主釈尊の御力ならずば叶(かなえ)がたしと申せしかば・さらばとて釈尊を造り奉りて・いのりしかば入鹿ほどなく打れにき、此の中臣の鎌子と申す人は後には姓をかへて藤原の鎌足と申し内大臣になり大職冠と申す人・今の一(藤原)の人の御先祖なり、此の釈迦仏は今の興福寺の本尊なり。

されば王の王たるも釈迦仏・臣の臣たるも釈迦仏・神国の仏国となりし事もえもんのたいう殿の御文(ふみ)と引き合せて心へさせ給へ、今代(きんだい)の他国にうばわれんとする事・釈尊を・いるがせにする故なり神の力も及ぶべからずと申すはこれなり。各各は二人は・すでにとこそ人はみ(見)しかどもかくいみじくみへさせ給うは・ひとえに釈迦仏・法華経の御力なりと・をぼすらむ、又此れにもをもひ候、後生のたのもしさ申すばかりなし、此れより後も・いかなる事ありとも・すこしもたゆ(弛)む事なかれ、いよいよ・はりあげてせむべし、設ひ命に及ぶともすこしも・ひるむ事なかれ、あなかしこ・あなかしこ、恐恐謹言。

八月二十一日                    日 蓮 花 押
兵衛志殿御返事


by johsei1129 | 2019-11-03 20:06 | 池上兄弟 | Trackback | Comments(0)
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