日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 10月 29日

此の人の帷子は法華経の六万九千三百八十四の文字の仏に詣らせ給いぬと説いた【さじき女房御返事 】

【さじき女房御返事】
■出筆時期:建治三年(1277年)五月二十五日 五十六歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄を送られた桟敷女房は六老僧の一人、日昭の兄で鎌倉在住の印東三郎祐信の妻と伝えられています。本抄は時節がら桟敷女房が自ら作られた帷子(夏用の麻の単衣)を供養されたことへの返書となっております。大聖人は「女人は水の如し、器は物にしたがう<中略>男善人なれば女人、仏になる。今生のみならず後生も男によるなり」と男女の関係をわかりやすい喩えで示すとともに、桟敷女房の夫は法華経の行者であり、「法華経の女人とこそ仏はしろしめされて候らん」と励まされておられます。
また帷子を法華経に供養されたことは、法華経一部八巻六万九千三百八十四の帷子であると、さじき女房の志を讃えられておられます。
■ご真筆:千葉県 妙印山妙光寺所蔵。
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[真筆本文:下記緑字箇所]

[さじき女房御返事 本文]

女人は水のごとし、うつは(器)物にしたがう。女人は矢のごとし、弓につがはさる。女人はふね(船)のごとし、かぢのまかするによるべし。しかるに女人はをとこ(男)ぬす(盗)人なれば女人ぬす人となる。をとこ王なれば女人きさき(妃)となる。をとこ善人なれば女人、仏になる。今生のみならず後生もをとこによるなり。

しかるに兵衛のさゑもんどのは法華経の行者なり、たとひ、いかなる事ありとも、をとこのめ(嫁)なれば法華経の女人とこそ仏はしろしめされて候らんに、又我とこころををこして法華経の御ために御かたびら(帷子)をくりたびて候。

法華経の行者に二人あり、聖人は皮をはいで文字をうつす。凡夫はただ、ひとつきて候かたびら(帷子)などを法華経の行者に供養すれば、皮をはぐうちに仏をさめさせ給うなり。

此の人のかたびらは法華経の六万九千三百八十四の文字の仏にまいらせさせ給いぬれば、六万九千三百八十四のかたびらなり。又六万九千三百八十四の仏・一一・六万九千三百八十四の文字なれば、此のかたびらも又かくのごとし。

たとへばはる(春)の野の千里ばかりに、くさ(草)のみちて候はんに、すこしの豆ばかりの火を、くさ・ひとつにはな(放)ちたれば、一時に無量無辺の火となる。此のかたびらも又かくのごとし、ひとつのかたびらなれども法華経の一切の文字の仏にたてまつるべし。

この功徳は父母・祖父母・乃至無辺の衆生にも、をよ(及)ぼしてん。ましてわがいとをし(愛おし)とをも(思)ふをとこは申すに及ばずと、おぼしめすべし、おぼしめすべし。

五月二十五日            日 蓮花押

さじき女房御返事

by johsei1129 | 2015-10-29 19:21 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
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