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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 28日

釈尊と耶輸多羅女のいわれを説いて兵衛志殿女房を称えた書【兵衛志殿女房御書】

【兵衛志殿女房御書】
■出筆時期:建治三年(1277)三月二日 五十六歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は池上兄弟の弟・宗長の妻に送られた消息です。
 宗長がある尼御前を身延の草庵に見参させるため、大事な愛馬を提供されたことを「これは殿はさる事にて女房のはからひか」と、宗長とともに妻の配慮であろうと讃えられておられます。

冒頭では釈尊と出家前の妻・耶輸多羅女(やしゅだらにょ)との謂れを説かれ、究極的に耶輸多羅女は釈尊を慕い出家し、法華経勧持品で将来「具足千万光相如来」となるとの記別を受けたことを示されおられます。そして文末では、「此馬も法華経の道なれば百二十年御さかへの後、霊山浄土へ乗り給うべき御馬なり」と記し、この馬を手配し尼御前を大聖人の元に導いた兵衛志殿女房も、耶輸多羅女同様、霊山浄土にこの馬が導いてくれるでしょうと励まされておられます。
■ご真筆:現存しておりません。

[兵衛志殿女房御書 本文]

 先度(せんど)仏器まいらせさせ給い候しが、此度(このたび)此の尼御前(あまごぜ)大事の御馬にのせさせ給いて候由・承わり候。法にすぎて候御志かな。これは殿はさる事にて女房のはからひか。

 昔儒童菩薩と申せし菩薩は、五茎(いつくき)の蓮華を五百の金銭を以てかいとり(買取)、定光菩薩を七日七夜供養し給いき。
 女人あり瞿夷(くい)となづく。二茎の蓮華を以て自ら供養して云く、凡夫にてあらん時は世世・生生・夫婦とならん。仏にならん時は同時に仏になるべし。此のちかひ(誓)くちずして九十一劫の間・夫婦となる。結句・儒童菩薩は今の釈迦仏、昔の瞿夷は今の耶輸多羅女、今法華経の勧持品にして具足千万光相如来・是なり。悉達太子・檀特山(だんとくせん)に入り給しには金泥駒(こんでいく)・帝釈の化身、摩騰迦(まとうか)・竺法蘭の経を漢土に渡せしには十羅刹・化して白馬となり給ふ。
 此の馬も法華経の道なれば百二十年御さかへの後、霊山浄土へ乗り給うべき御馬なり。恐恐謹言。

 建治三年丁丑(ひのとうし)三月二日   日 蓮 花 押

 兵衛志殿女房


【妙法蓮華経 勧持品第十三】
爾時羅睺羅母 耶輸陀羅比丘尼 作是念
世尊於授記中 独不説我名
仏告耶輸陀羅 汝於来世 百千万億
諸仏法中 修菩薩行 為大法師 漸具仏道
於善国中 当得作仏 号具足千万光相如来
<中略>仏寿無量阿僧祇劫

[和訳]
その時羅睺羅(らごら)の母・耶輸陀羅比丘尼はこの念を成していた。
世尊(釈尊)は記を授ける中に於いて、独り我が名を説いていないと。
その思いを察した仏は耶輸陀羅にこう告げた。汝は来世に於いて百千万億の諸仏と法の中で菩薩行を修め、
大法師と為り漸し仏道を具足し
善き国の中に於いて、当に仏と作すことを得て、具足千万光相如来と号するべし。
<中略>その仏の寿命は無量阿僧祇劫なり。




by johsei1129 | 2019-10-28 22:51 | 池上兄弟 | Trackback | Comments(0)


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