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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 10月 22日

撰時抄愚記 上十四  像法の流布は真実の法華経の流布に非ず

  
  八月十八


一 
()れ釈尊の出世等文。

此の下は所引(しょいん)の釈の意を釈せるなり。

一 法華経の流布(るふ)の時・二度あるべし等文。

経釈(とも)に末法の初めを指す、故に「二度」と云うなり。

問う、天台・伝教の御時も(また)広宣流布す。何ぞ像法流布と云わざるや。

答う、彼の時は流布するに似たりと雖も、是れ真実の法華流布の時に非ず。(まさ)に此の義を明かさんとす。(しばら)く五意を示さん。

一には、像法には此の経の利生(りしょう)未だ盛んならざるが故に。経に云く「(しゅ)(しょう)の中に、(がっ)天子(てんし)最も()れ第一」云云。

薬王品得意抄三十三・十三に云く「又月はよい()よりも(あかつき)は光まさり・春夏よりも秋冬は光あり、法華経は正像二千年よりも末法には殊に利生有る可きなり、(乃至)と・とかれて候は・第三の月の(たとえ)の意なり」と云云。故に知んぬ、像法には今経の利生(いま)だ盛んならざることを云云。

二には、像法には(どっ)(けん)の妙能、未だ(あらわ)れざるが故に。(いわ)く、彼の時に於ては諸大乗経の利益(なお)有り、今経の妙用(みょうゆう)未だ彰れず。例せば「十八公の(さかえ)霜後に顕れ、一千年の色は雪中(せっちゅう)に深し」と云うが如し。
 顕仏未来記二十七・二十九に云く「小乗経を以て
(これ)(かんが)うるに、正法千年は教行証の三つ(つぶ)さに(これ)を備う、像法千年には教行のみ有って証無し。末法には教のみ有って行証無し等云云、法華経を以て之を(さぐ)るに、正法千年に三事を具するは、在世に於て法華経に結縁(けちえん)する者か、()の後正法に生れて小乗の教行を以て縁と為し小乗の証を得るなり。像法に於ては在世の結縁微簿(みはく)の故に小乗に於て証すること無く、此の人・権大乗を以て縁と為して十方(じっぽう)の浄土に生ず。末法に(おい)ては大小の(えき)(とも)に之無し、小乗には教のみ有って行証無く、大乗には教行のみ有って冥顕の証(これ)無し。此の時、本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮提(えんぶだい)に広宣流布せしめんか」等云云。

三には、像法には正直(しょうじき)の妙法を(ひろ)めざるが故に。

立正観抄三十八・六に云く「天台大師は霊山(りょうぜん)の聴衆として如来出世の本懐を()べたまうと雖も、時至らざるが故に妙法の名字(みょうじ)()えて止観と号す。(乃至)正直の妙法を止観と説きまぎ()らかす。故に(あり)まま()の妙法ならざれば帯権(たいごん)の法に似たり」等云云。又云く「本化弘通(ぐつう)の所化の機は法華本門の直機(じっき)なり」と云云。二十三・二十四

四には、像法には()(ぎょう)の三千を顕さざるが故に。

観心本尊抄八・二十六に云く「像法の中末に観音・薬王、南岳・天台等と示現(じげん)し出現して迹門を以て(おもて)()し本門を以て(うら)と為して百界千如・一念三千()の義を尽せり、(ただ)()()を論じて事行(じぎょう)の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊未だ広く之を行ぜず。所詮(しょせん)円機(えんき)有って(えん)()無き故なり」と文。

五には、像法には(いま)だ深秘の大法を弘めざるが故に。
 下の文三十五に云く「
迦葉(かしょう)阿難(あなん)馬鳴(めみょう)・竜樹・無著・天親・乃至天台・伝教のいまだ弘通(ぐつう)しましまさぬ最大の深秘の正法経文の面に顕然(けんねん)なり、此の深法・(いま)末法の(はじめ)(ごの)五百歳に一閻(いちえん)浮提(ぶだい)に広宣流布すべき」等云云。(つぶさ)に下に弁ずるが如し云云。

故に知んぬ、像法の流布(るふ)は是れ真実の法華経の流布に非ざることを云云。


                 つづく
撰時抄愚記上 目次



by johsei1129 | 2015-10-22 21:40 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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