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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 26日

過去の事未来の事を申しあてて候がまことの法華経にては候なりと説いた【清澄寺大衆中】

【清澄寺大衆中】
■出筆時期:建治二年(1276年)正月十一日 五十五歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■執筆の経緯:本書追伸で大聖人は佐渡公(日向)と助阿闍梨に、故郷・安房清澄寺の大衆(檀信徒)に読み聞かせなさいと依頼されており、新年にあたり清澄寺の人々に法門を講説する目的でしたためたと思われます。

また前年の暮れ十二月二十六日に真言僧・強仁から、法論を迫る手紙を受け取っており、その対応のため真言の諸疏、止観の第一・第二を等を用意するよう依頼されておられます。※参照[強仁状御返事]

さらに大聖人は幼き頃、清澄寺で修業していた時「生身の虚空蔵菩薩より大智慧を給わりし事ありき、日本第一の智者となし給へと申せし事を不便とや思し食しけん明星の如くなる大宝珠を給いて右の袖にうけとり候いし故に一切経を見候いしかば八宗並びに一切経の勝劣粗是を知りぬ」と記し、修行時代の清澄寺の虚空蔵菩薩との謂れについて説かれておられます。

また文末では「法華経と申す御経は別の事も候はず我は過去・五百塵点劫より先の仏なり<中略>されば仏になる道は別のやうなし過去の事・未来の事を申しあてて候が・まことの法華経にては候なり」と断じ、清澄寺の大衆に法華経信仰を貫くよう諭されておられます。
■ご真筆:身延山久遠寺に存在していたが明治八年の大火で焼失。

[清澄寺大衆中 本文]

新春の慶賀自他幸甚幸甚、去年来らず如何定めて子細有らんか、抑参詣を企て候わば伊勢公の御房に十住心論・秘蔵宝鑰二教論等の真言の疏(じょ)を借用候へ、是くの如きは真言師蜂起の故に之を申す、又止観の第一・第二・御随身候へ東春・輔正記なんどや候らん、円智房の御弟子に観智房の持ちて候なる宗要集か(貸)したび候へ、それのみならずふみ(文)の候由も人人申し候いしなり早早に返すべきのよし申させ給へ、

今年は殊に仏法の邪正たださるべき年か・浄顕の御房・義城房等には申し給うべし、日蓮が度度・殺害せられんとし並びに二度まで流罪せられ頚を刎られんとせし事は別に世間の失に候はず、生身(しょうしん)の虚空蔵菩薩より大智慧を給わりし事ありき、日本第一の智者となし給へと申せし事を不便とや思し食しけん明星の如くなる大宝珠を給いて右の袖にうけとり候いし故に一切経を見候いしかば八宗並びに一切経の勝劣粗是を知りぬ、其の上真言宗は法華経を失う宗なり、是は大事なり先ず序分に禅宗と念仏宗の僻見を責めて見んと思ふ、其の故は月氏漢土の仏法の邪正は且らく之を置く日本国の法華経の正義を失うて一人もなく人の悪道に堕つる事は真言宗が影の身に随うがごとく山山・寺寺ごとに法華宗に真言宗をあひそひて如法の法華経に十八道をそへ懺法に阿弥陀経を加へ天台宗の学者の潅頂をして真言宗を正とし法華経を傍とせし程に、真言経と申すは爾前権教の内の華厳・般若にも劣れるを慈覚・弘法これに迷惑して或は法華経に同じ或は勝れたりなんど申して、仏を開眼するにも仏眼大日の印・真言をもつて開眼供養するゆへに日本国の木画の諸像皆無魂無眼の者となりぬ、結句は天魔入り替つて檀那をほろぼす仏像となりぬ王法の尽きんとするこれなり、此の悪真言かまくらに来りて又日本国をほろぼさんとす。

其の上禅宗・浄土宗なんどと申すは又いうばかりなき僻見の者なり、此れを申さば必ず日蓮が命と成るべしと存知せしかども虚空蔵菩薩の御恩をほう(報)ぜんがために建長五年四月二十八日安房の国東条の郷清澄寺道善の房持仏堂の南面にして浄円房と申す者並びに少少の大衆にこれを申しはじめて其の後二十余年が間・退転なく申す、或は所を追い出され或は流罪等、昔は聞く不軽菩薩の杖木等を今は見る日蓮が刀剣に当る事を、日本国の有智・無智・上下・万人の云く日蓮法師は古の論師・人師・大師・先徳にすぐるべからずと、日蓮この不審をはらさんがために正嘉・文永の大地震・大長星を見て勘えて云く我が朝に二つの大難あるべし所謂自界叛逆難・他国侵逼難なり、自界は鎌倉に権の大夫殿・御子孫どしうち(同士打)出来すべし、他国侵逼難は四方よりあるべし、其の中に西より・つよくせむべし、是れ偏に仏法が一国挙りて邪(よこしま)なるゆへに梵天・帝釈の他国に仰せつけて・せめらるるなるべし。

日蓮をだに用いぬ程ならば将門・純友・貞任・利仁・田村のやうなる将軍・百千万人ありとも叶ふべからず、これまことならずば真言と念仏等の僻見をば信ずべしと申しひろめ候いき、就中清澄山の大衆は日蓮を父母にも三宝にも・をもひをとさせ給はば今生には貧窮の乞者(こっしゃ)とならせ給ひ後生には無間地獄に堕ちさせ給うべし・故いかんとなれば東条左衛門景信が悪人として清澄のか(飼)いしし(鹿)等をか(狩)りとり房房の法師等を念仏者の所従にし・なんとせしに日蓮敵をなして領家のかたうどとなり清澄・二間の二箇の寺・東条が方につくならば日蓮法華経をすてんと、せいじやう(清請)の起請をかいて日蓮が御本尊の手にゆ(結)いつけていのりて一年が内に両寺は東条が手をはなれ候いしなり、此の事は虚空蔵菩薩もいかでかすてさせ給うべき、大衆も日蓮を心へずに・をもはれん人人は天にすてられ・たてまつらざるべしや、かう申せば愚癡の者は我をのろう(呪詛)と申すべし後生に無間地獄に堕ちんが不便なれば申すなり。

領家の尼ごぜんは女人なり愚癡なれば人人のいひをど(嚇)せば・さこそとましまし候らめ、されども恩をしらぬ人となりて後生に悪道に堕ちさせ給はん事こそ不便に候へども又一つには日蓮が父母等に恩をかほらせたる人なればいかにしても後生をたすけたてまつらんと・こそいのり候へ、

法華経と申す御経は別の事も候はず我は過去・五百塵点劫より先の仏なり、又舎利弗等は未来に仏になるべしと、これを信ぜざらん者は無間地獄に堕つべし、我のみかう申すにはあらず多宝仏も証明し十方の諸仏も舌をいだして・かう候、地涌千界・文殊・観音・梵天・帝釈・日月(にちがつ)・四天・十羅刹・法華経の行者を守護し給はんと説かれたり、されば仏になる道は別のやうなし過去の事・未来の事を申しあてて候が・まことの法華経にては候なり。

日蓮はいまだ・つくしを見ずえぞ(西夷)しらず、一切経をもつて勘へて候へば・すでに値いぬ、もし・しからば各各・不知恩の人なれば無間地獄に堕ち給うべしと申し候はたがひ候べきか、今はよし後をごらんぜよ日本国は当時のゆき(壱岐)対馬のやうになり候はんずるなり、其の時安房の国にむこが寄せて責め候はん時日蓮房の申せし事の合うたりと申すは偏執の法師等が口すく(竦縮)めて無間地獄に堕ちん事不便なり不便なり。

正月十一日 日 蓮 花押
安房の国清澄寺大衆中
このふみはさど(佐渡)殿と・すけあさり(助阿闍梨)御房と虚空蔵の御前にして大衆ごとに・よみきかせ給へ。

by johsei1129 | 2019-10-26 10:36 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
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