【上野殿御返事】
■出筆時期:弘安二年(1279年)八月八日 五十八歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:南条時光(上野殿)が、使者を使わして銭、塩、芋、生姜を供養されたことを称える返書となっております。大聖人は文中で「ぜに又かくのごとし、漢土に銅山と申す山あり・彼の山よりいでて候ぜになれば・一文もみな三千里の海をわたりて来たるものなり」と記し、当時日本の銅銭(宋銭)は中国から輸入していたことを示しておられます。
文末では「法華経は草木を仏となし給う、いわうや心あらん人をや。法華経は焼種の二乗を仏となし給う、いわうや生種の人をや。法華経は一闡提を仏となし給う、いわうや信ずるものをや」と記し法華経は草木・二乗(声聞・縁覚)・一闡提(仏法誹謗者)さえ仏に為す経であると諭されておられます。、
■ご真筆:現存しておりません。古写本:日興上人筆(富士大石寺蔵)。
[上野殿御返事 本文]
鵞目一貫・しほ一たわら・蹲鴟(いものかしら)一俵・はじかみ(薑)少少、使者(つかい)をもつて送り給び畢んぬ。
あつきには水を財(たから)とす・さむきには火を財とす・けかちには米を財とす、いくさには兵杖を財とす・海には船を財とす・山には馬をたからとす・武蔵下総に石を財とす。此の山中には・いえのいも(芋)・海のしほ(塩)を財とし候ぞ。竹の子・木の子等候へども・しほなければそのあぢわひ・つちのごとし。又金(こがね)と申すもの・国王も財とし民も財とす。たとへば米のごとし・一切衆生のいのちなり。
ぜに又かくのごとし、漢土(もろこし)に銅山と申す山あり。彼の山よりいでて候ぜに(銭)なれば・一文もみな三千里の海をわたりて来たるものなり。万人皆たま(玉)とおもへり。此れを法華経にまいらせさせ給う。
釈まなん(摩男)と申せし人のたな(掌)心には石変じて珠となる、金ぞく(粟)王は沙(いさご)を金となせり。
法華経は草木を仏となし給う・いわうや心あらん人をや、法華経は焼種の二乗を仏となし給う・いわうや生種の人をや、法華経は一闡提を仏となし給う・いわうや信ずるものをや。事事つくしがたく候、又又申すべし。恐恐謹言。
八月八日 日 蓮花押
上野殿御返事