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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 10月 08日

法華の持者を禁獄する人、何ぞ現身に悪瘡を感ぜざらんや、と説いた【同一鹹味御書】

【同一鹹(しお)味御書】
■出筆時期:弘長元年((1261年)四十歳御作と推察されます。
■出筆場所:伊豆・伊東の地頭伊東八郎左衛門の屋敷と思われます。
■出筆の経緯:本書は伊豆流罪中に、鎌倉の留守を守る弟子・信徒にあてられた書と思われます。
 大聖人は冒頭で「夫れ味に六種あり<中略>鹹(しお)の味なければ大王の膳とならず、山海の珍物も鹹なければ気味なし」と記し、六種の味の中でも塩味が一番大事てあると示すとともに、その塩を生み出す大海の「八の不思議」を法華経信仰に例えて、わかりやすく説かれておられます。

文末では「法華の持者を禁(いまし)むるは釈迦如来を禁むるなり<中略>法華の持者を禁獄する人、何ぞ現身に悪瘡(あくそう)を感ぜざらんや」と記し、法華経の行者を投獄する者はその身に悪瘡を生じないことはないと断じられておられます。
事実大聖人の佐渡流罪を図った当時の幕府重臣で熱心な念仏信者北条重時(執権北条長時の父)は、 『吾妻鏡』によると伊豆流罪の十九日後、厠で「怪異」により「心神網然」になり一時回復するも再発し同年十一月三日に亡くなっています。
まさに[三三蔵祈雨事] で説かれている「日蓮仏法をこころみるに 道理と証文とには過ぎず、また道理証文よりも現証には過ぎず」そのものでした。
■ご真筆:現存しておりません。

[同一鹹味御書 本文]

夫れ味に六種あり、一には淡(あわき)・二には鹹(しおからき)・三には辛(からき)・四には酸(すき)・五には甘(あまき)・六には苦(にがき)なり。
百味の餚膳(きょうぜん)を調ふといへども一つの鹹(しお)の味なければ大王の膳とならず、山海の珍物も鹹なければ気味なし。

大海に八の不思議あり、一には漸漸に転深し、二には深くして底を得難し、三には同じ一鹹の味なり、四には潮限りを過ぎず、五には種種の宝蔵有り、六には大身の衆生中に在つて居住す、七には死屍(しし)を宿(とど)めず、八には万流大雨之を収めて不増不減なり。

漸漸に転深しとは、法華経は凡夫無解より聖人有解に至るまで、皆仏道を成ずるに譬うるなり。深くして底を得難しとは法華経は唯仏与仏の境界にして等覚已下は極むることなきが故なり。同じ一鹹の味なりとは諸河に鹹なきは諸教に得道なきに譬ふ。

諸河の水、大海に入つて鹹となるは、諸教の機類、法華経に入つて仏道を成ずるに譬ふ。潮限りを過ぎずとは、妙法を持つ人寧ろ身命を失するとも不退転を得るに譬ふ。種種の宝蔵有りとは諸仏菩薩の万行万善、諸波羅蜜の功徳・妙法に納まるに譬ふ。大身の衆生所居の住処とは仏菩薩・大智慧あるが故に大身衆生と名く大身・大心・大荘厳・大調伏・大説法・大勢・大神通・大慈・大悲・おのづから法華経より生ずるが故なり。

死屍を宿めずとは、永く謗法一闡提を離るるが故なり。不増不減とは法華の意は一切衆生の仏性同一性なるが故なり、蔓草漬(つるくさつけ)たる桶缾(とうびょう)の中の鹹は、大海の鹹に随つて満干ぬ、禁獄を被る法華の持者は桶びょうの中の鹹の如く・火宅を出で給へる釈迦如来は大海の鹹の如し。

法華の持者を禁むるは釈迦如来を禁むるなり。梵釈・四天も如何(いかが)驚き給わざらん、十羅刹女の頭破七分の誓ひ此の時に非ずんば何(いつ)の時か果し給ふべき。頻婆娑羅王(びんばしゃらおう)を禁獄せし阿闍世(あじゃせ)早く現身に大悪瘡を感得しき、法華の持者を禁獄する人、何ぞ現身に悪瘡を感ぜざらんや。

    日 蓮 花 押

by johsei1129 | 2015-10-08 20:36 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
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