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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 10月 06日

釈尊と同じく八日に生まれた日眼女の子に月満(つきまろ)と命名した書【月満御前御書】

【月満御前御書】
■出筆時期:文永八年(1271年)五月八日 五十歳御作
■出筆場所:鎌倉市中 館にて。
■出筆の経緯:本書を記された前日の五月七日、大聖人は四条金吾の妻・日眼女より、初産ということもあり出産が遅れているのだろうと思われるが、護符の願い出があった。大聖人は直ぐに弁公(日昭上人)に護符と返書の消息[四条金吾女房御書]をもたせて日眼女のに届けます。
 護符を飲んだ日眼女は安心したのか、翌日無事女の子を出産します。前日の消息で大聖人は「法華経は日月と蓮華となり故に妙法蓮華経と名く。日蓮又日月と蓮華との如くなり。信心の水すまば利生の月・必ず応を垂れ守護し給うべし。とくとくうまれ候べし法華経に云く「如是妙法」又云く「安楽産福子」云云」と記した通り、生まれた女の子に「月満」と名付けられます。

日蓮の日、つまり太陽は昇ると霜を一瞬で消し去るように、衆生の過去世の罪障を消滅させる意味があります。また月つまり満月は、貪・瞋・癡の三毒に取り付かれ闇夜をさまよう衆生の道案内の役目を意味します。おそらく大聖人は、前日日眼女に消息をしたためた時からこの月満(つきまろ)と命名することを考えられていたのではと思われます。

「法華経は日月と蓮華となり故に妙法蓮華経と名く。日蓮又日月と蓮華との如くなり。」の意味を持つ月満と言う名を賜った四条金吾と妻の日眼女の喜びは、計り知れまいものがあったと思われるとともに、大聖人の信徒を思う慈愛の深さを感じざる得ません。
■ご真筆:現存しておりません。

[月満(つきまろ)御前御書 本文]

若童生れさせ給いし由承り候・目出たく覚へ候、殊に今日は八日にて候、彼れと云い此れと云い所願しをの指すが如く春の野に華の開けるが如し。

然れば・いそぎいそぎ名をつけ奉る月満御前と申すべし、其の上此の国の主八幡大菩薩は卯月八日にうまれさせ給ふ娑婆世界の教主釈尊も又卯月八日に御誕生なりき、今の童女又月は替れども八日にうまれ給ふ釈尊八幡のうまれ替りとや申さん、日蓮は凡夫なれば能くは知らず是れ併しながら日蓮が符を進らせし故なり、さこそ父母も悦び給うらん、殊に御祝として餅・酒・鳥目一貫文・送り給び候い畢んぬ是また御本尊・十羅刹に申し上げて候、今日の仏生れさせまします時に三十二の不思議あり此の事周書の異記と云う文にしるし置けり。

釈迦仏は誕生し給いて七歩し口を自ら開いて「天上天下唯我独尊・三界皆苦我当度之」の十六字を唱へ給ふ、今の月満御前はうまれ給いて・うぶごゑに南無妙法蓮華経と唱へ給ふか、法華経に云く「諸法実相」天台の云く「声為仏事」等云云、日蓮又かくの如く推し奉る、譬えば雷の音・耳しいの為に聞く事なく日月の光り目くらの為に見る事なし、定めて十羅刹女は寄り合うて・うぶ水をなで養ひ給うらん・あらめでたや・あらめでたや御悦び推量申し候、念頃に十羅刹女・天照太神等にも申して候、あまりの事に候間委くは申さず、是より重ねて申すべく候、穴賢穴賢。
         
月満御前え  日 蓮 花 押

by johsei1129 | 2015-10-06 00:25 | 四条金吾・日眼女 | Trackback | Comments(0)
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