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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 22日

法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、と説いた【妙一尼御前御消息】

【妙一尼御前御消息】
■出筆時期:建治元(1275)年5月 五十四歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄を与えられた妙一尼の亡き夫は、佐渡流罪の大難の時幕府から所領を奪われておられます。そして夫が亡くなると妙一尼には、病気の子供と女の子が残されます。この事について大聖人は「聖霊(亡夫)は或は病子あり、或は女子あり、われ(妙一尼)すてて冥途にゆきなば<中略>此の子どもをいかに心ぐるしかるらんとなげ(嘆)かれぬらんとおぼゆ」と、夫亡き後の妙一尼の暮らしぶりを心配されるとともに「法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる」と励まされておられます。

 さらに法華経信徒として大難に遭い所領を召されて命を捨てた夫は、(仏法の)半偈を聞くために身をすてた雪山童子に匹敵し、その功徳で「大日輪の中か天鏡をもつて妻子の身を浮べて十二時に御らんあるらん」と記し、聖霊となった夫が昼夜、妙一尼と子供を見守っているので「御疑ひあるべからず。定めて御まほりとならせ給うらん」と諭されておられます。

 さらに文末では、佐渡流罪の時にも、また身延に入山された時にも大聖人の元へ下人(滝王丸)を遣わした妙一尼の志を「いつの世にかわすれ候べき(略)」と称えられておられます。
■ご真筆:中山法華経寺所蔵(重要文化財)。
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[真筆(第三紙)本文箇所:我がてきとなりしかば~かの心のかたがたには、又]

[妙一尼御前御消息 本文]

 夫れ天に月なく・日なくば、草木いかでか生ずべき。人に父母あり。一人もかけば子息(こども)等そだちがたし。其の上過去の聖霊は、或は病子あり、或は女子あり。とどめをく母もかいがいしからず。たれに・いゐあつ(託)けてか冥途にをもむき給いけん。
 大覚世尊・御涅槃の時・なげいてのたまはく、我涅槃すべし、但心にかかる事は阿闍世王のみ。迦葉童子菩薩・仏に申さく、仏は平等の慈悲なり、一切衆生のためにいのちを惜しみ給うべし。いかにかきわけて阿闍世王一人と・をほせあるやらんと問いまいらせしかば、其の御返事に云く「譬えば一人にして七子有り。是の七子の中に一子病に遇えり。父母の心・平等ならざるには非ず。然れども病子に於ては心則ち偏に重きが如し」等云云。
 天台摩訶止観に此の経文を釈して云く「譬えば七子の父母平等ならざるには非ず。然れども病者に於ては心則ち偏に重きが如し」等云云とこそ仏は答えさせ給いしか。文の心は人にはあまたの子あれども父母の心は病する子にありとなり。仏の御ためには一切衆生は皆子なり。其の中・罪ふかくして世間の父母をころし、仏経のかたきとなる者は病子のごとし。しかるに阿闍世王は摩竭提(まかだ)国の主なり。我が大檀那たりし頻婆舎羅(びんばしゃら)王をころし、我がてき(敵)となりしかば、天もすてて日月に変(へん)いで、地も頂かじとふるひ、万民みな仏法にそむき、他国より摩竭国をせむ。
 此等は偏に悪人・提婆達多を師とせるゆへなり。結句は今日より悪瘡身に出て三月の七日・無間地獄に堕つべし。これがかなしければ我涅槃せんこと心にかかるというなり。我・阿闍世王をすくひなば、一切の罪人・阿闍世王のごとしと・なげかせ給いき。
 しかるに聖霊(妙一尼の亡夫)は或は病子あり・或は女子あり、われすてて冥途にゆきなば・か(枯)れたる朽木(くちき)のやうなる・としより尼が一人とどまり、此の子どもをいかに心ぐるしかるらんと・なげかれぬらんとおぼゆ。かの心の・かたがたには、又は日蓮が事・心にかからせ給いけん。仏語むなしからざれば法華経ひろまらせ給うべし。それについては此の御房はいかなる事もありて・いみじくならせ給うべしとおぼしつらんに、いうかいなく・ながし失(うせ)しかばいかにや・いかにや、法華経十羅刹はとこそ・をもはれけんに、いままでだにも・ながらえ(存生)給いたりしかば、日蓮がゆりて候いし時・いかに悦ばせ給はん。
 又いゐし事むなしからずして・大蒙古国もよせて国土もあやを(危)しげになりて候へばいかに悦び給はん。これは凡夫の心なり。
 法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかず・みず、冬の秋とかへれる事を。いまだきかず、法華経を信ずる人の凡夫となる事を。経文には「若有聞法者・無一不成仏」ととかれて候。
 故聖霊は法華経に命をすてて・をはしき。わづかの身命をささえしところを法華経のゆへにめ(召)されしは、命をすつるにあらずや。彼の雪山童子の半偈のために身をすて、薬王菩薩の臂をやき給いしは・彼は聖人なり、火に水を入るるがごとし。此れは凡夫なり、紙を火に入るるがごとし。此れをもつて案ずるに聖霊は此の功徳あり。大月輪の中か大日輪の中か、天鏡をもつて妻子の身を浮べて十二時に御らんあるらん。設い妻子は凡夫なれば此れをみず・きかず。譬へば耳しゐ(聾)たる者の雷の声をきかず、目つぶれ(失明)たる者の日輪を見ざるがごとし。御疑ひあるべからず。定めて御まほりとならせ給うらん。其の上さこそ御わたりあるらめ。
 力あらば・と(訪)ひまひらせんと・をもうところに衣(ころも)を一つ給ぶでう・存外の次第なり。法華経はいみじき御経にてをはすれば、もし今生にいきある身ともなり候いなば、尼ごぜんの生きてをわしませ、もしは草のかげにても御らんあれ。をさなき・きんだち(公達)等をば・かへり見たてまつるべし。
 さどの国と申しこれと申し・下人一人つけられて候は・いつの世にかわすれ候べき。此の恩は・かへりて・つか(仕)へ・たてまつり候べし。南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。恐恐謹言。

五月 日                日 蓮 花押

妙一尼御前




by johsei1129 | 2019-10-22 10:18 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)


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