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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 09月 27日

観心本尊抄文段 下三十


一 寿量品に云く等

此の下は次に(こう)(かい)(ごん)(けん)(のん)の文を引く、(また)二と為す。初めに一往(いちおう)在世の正宗を証し、次に再往(さいおう)末法の流通を証す。

初めの文、二と為す。初めに正しく引き、次に「久遠」の下は釈。即ち(さき)の「一往之を見れば」等の文に同じきなり。

文に云く「経に云く、余の心を失える者」等とは、此の下は次に再往(さいおう)末法の流通(るつう)を証するなり。「心を失える」と言うは、是れ末法今時の衆生を()すなり。

問う、「心を失える」と云うと(いえど)(なお)是れ仏子なり。(あに)結縁(けちえん)なからんや。(いわん)や「心を失える」と云う(あに)種の善根なからんや。()(しか)らば、末法今時の衆生を何ぞ本未(ほんみ)()(ぜん)と名づけんや。

答う、仏子の義を(しゃく)する(しょ)に三意あり。所謂(いわゆる)正・縁・了なり。而して失心を以て(なお)仏子と名づくることは是れ縁因の子に(あら)(ただ)是れ正因の子なり。(しつ)不失(ふしつ)を釈するに即ち両解(りょうげ)あり。初めに正因に約し、次に縁因に約す。(しか)して失心と名づくることは、是れ縁因の失心に非ず。(ただ)是れ正因の失心なり。故に仏子と云うと雖も、失心と云うと雖も、(なお)是れ本未(ほんみ)()(ぜん)の衆生なり。若し正因に()らば法界に非ざること無し。何ぞ(すべから)く更に()(ぜん)未善(みぜん)を論ずべけんや云云。

此の文(また)二と為す。初めに正しく引き、次に「問うて曰く」の下は釈。

初めの正しく引くに(また)二あり。初めに正しく引き、次に「分別功徳品」の下は「今留(こんる)」の二字を助成(じょじょう)するなり。

文に「是の好き良薬を今留めて此に在く」と云うは、「()()良薬(ろうやく)」とは流通(るつう)する所の正体を()げ「今(とど)めて(ここ)()く」とは正しく是れ流通(るつう)の義なり。

文に「問うて曰く此の経」等と云うは、此の下は釈、(また)二と為す。初めに問、次に答、二と為す。初めに「遣使(けんし)(げんごう)」を釈し、次に「今の遣」の下は「()(こう)良薬(ろうやく)」を釈するなり。

初めの文、二と為す。初めに通じて示し、次に別して釈す(おのずか)ら四あり。文の如く見るべし。

文に「今の遣使還告」等と云うは、()下、次に「是好良薬」を釈す、三と為す。初めに付嘱の人を示し、次に所嘱の法体(ほったい)を釈し、三に非器の人を(えら)ぶなり。

文に云く「是好良薬とは寿量品の肝要乃至是なり」とは、文の意に(いわ)く、今の是好良薬は脱益(だっちゃく)の寿量品の文底、名体宗用教の南無妙法蓮華経是れなりと云云。当に知るべし肝要(かんよう)」とは、是れ文底の異名(いみょう)なるのみ。

問う、天台(てんだい)云く「経教を留めて()く。故に()好良薬(こうろうやく)今留在(こんるざい)()と云う」等云云。妙楽(みょうらく)云く「頓漸(とんぜん)(こうむ)ると雖も、(もと)実乗に在り」等云云。今何ぞ文底下種の妙法に約するや。

答う、経文の意は通じて正像末に(わた)る。故に天台は総じて代経に約するなり。(けだ)妙楽は時、像法に()り。故に今経に約するなり。若し(れん)()は時、末法に在り。故に文底下種の妙法に約するなり。法華経は法なれども時機に(したが)って同じからず云云。


                   つづく

文段下 目次



by johsei1129 | 2015-09-27 20:14 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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