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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 21日

蒙古が対馬に襲来した一ヶ月後、鎌倉武士の曾谷殿を厳しく諭された書【曾谷入道殿御書】

【曾谷入道殿御書】
■出筆時期:文永十一年(1274年)十一月二十日 五十三歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本書は下総国の鎌倉武士・曾谷入道にあてられた書です。
本書を記した約一か月前の10月5日には蒙古軍が対馬に襲来日本側の守備軍が全滅、10月14日壱岐島に侵攻するという文永の役が勃発します。
恐らく鎌倉武士の曾谷入道も、戦況次第によっては鎌倉から馳せ参じる可能性もあったものと思われ、大聖人に何らかの指南、また慈覚大師の真言について問われたものと思われます。

大聖人はこの事について「日本国は慈覚大師が大日経・金剛頂経・蘇悉地経を鎮護国家の三部と取つて、伝教大師の鎮護国家を破せしより叡山に悪義・出来して終に王法尽きにき。此の悪義・鎌倉に下つて又日本国を亡すべし」と記し、慈覚大師の真言が日本亡国の根本の原因要因であると断じておられます。

さらに末尾では「慈覚大師の法華経・大日経の理同事勝の釈は智人既に許しぬ愚者争でか信ぜざるべき<中略>我が弟子は(慈覚大師の真言を)用ゆべきや如何、最後なれば申すなり恨み給べからず」と記し、慈覚大師の「大日経は理同事勝で法華経より優れている」という説は、智人は既に許しているのだから愚者が信じない訳がない。もし日蓮に背いて真言を信じ、後々恨む事がないようにと、厳しく諭されておられます。
■ご真筆:京都市 本圀寺(断簡)所蔵。
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[真筆本文箇所:難すでにあひ候了。これをもつてをもうに、多有他方怨賊侵掠国]

[曾谷入道殿御書 本文]

自界叛逆難・他方侵逼の難既に合い了んぬ、これをもっておもうに「多く他方の怨賊有つて国内を侵掠(しんりょう)し人民諸の苦悩を受け土地に所楽の処有ること無けん」と申す経文合い候いぬと覚え候。

当時壱岐・対馬の土民の如くになり候はんずるなり、是れ偏に仏法の邪見なるによる。
仏法の邪見と申すは真言宗と法華宗との違目なり、禅宗と念仏宗とを責め候しは此の事を申し顕さん料なり。

漢土には善無畏・金剛智・不空三蔵の誑惑の心・天台法華宗を真言の大日経に盗み入れて還つて法華経の肝心と天台大師の徳とを隠せし故に漢土滅するなり。

日本国は慈覚大師が大日経・金剛頂経・蘇悉地経を鎮護国家の三部と取つて、伝教大師の鎮護国家を破せしより叡山に悪義・出来して、終に王法尽きにき。

此の悪義・鎌倉に下つて又日本国を亡すべし、弘法大師の邪義は中中(なかなか)顕然なれば人もたぼらかされぬ者もあり。
慈覚大師の法華経・大日経の理同事勝の釈は智人既に許しぬ、愚者争でか信ぜざるべき。

慈覚大師は法華経と大日経との勝劣を祈請せしに箭を以て日を射ると見しは此の事なるべし。是れは慈覚大師の心中に修羅の入つて法華経の大日輪を射るにあらずや、此の法門は当世・叡山其の外日本国の人用ゆべきや、若し此の事・実事ならば日蓮豈須弥山を投る者にあらずや、我が弟子は用ゆべきや如何、最後なれば申すなり、恨み給べからず、恐恐謹言。

十一月二十日          日 蓮 花押
曾谷入道殿

by johsei1129 | 2019-10-21 17:41 | 曾谷入道 | Trackback | Comments(0)
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