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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 09月 23日

観心本尊抄文段 下二四


  三に本尊を(つまび)らかにすとは、

問う、末法今時、色相(しきそう)荘厳(しょうごん)の仏像を造立(ぞうりゅう)して本尊と()すべきや。

答う、(しか)るべからざるなり。(まさ)此の義を明かさんとするに、(すべから)く三門に約すべし。

初めに道理とは、一には彼は脱益の教主なるが故に。謂く、()れ釈尊は久遠(くおん)に下種し、大通に結縁(けちえん)し、()純熟(じゅんじゅく)して仏の出世を感ず。故に本より(しゃく)()れ、王宮に誕生して樹下(じゅげ)に成道し、世情に随順して色相を荘厳し、爾前(にぜん)迹門を演説して機縁(すで)に熟すれば、次に本門寿量を説いて皆(ことごと)く脱せしむ。故に色相荘厳の尊形(そんぎょう)は在世脱益(だっちゃく)の教主にして、末法下種の本尊に(あら)ざるなり。

二には(さん)(とく)の縁浅きが故に。謂く、在世は本已(ほんい)()(ぜん)の機類なり。故に色相荘厳の仏に(おい)其の(もっと)も深し。今末法は(ほん)()有善の衆生なり。故に色相荘厳の仏に於ては三徳の縁(あさ)し。故に末法今時の我等が本尊に(あら)ざるなり。

三には人法勝劣(しょうれつ)なるが故に。宗祖云く(およ)そ本尊とは勝れたるを用うべし」云云。天台(てんだい)云く「法は()れ聖の師なり。(しょう)(よう)(じょう)(えい)、法に過ぎたるは()し」と云云。妙楽(みょうらく)云く「四不同なりと(いえど)も、法を以て本と為す」と云云。故に色相荘厳の仏を以て本尊と()すべからざるなり。

次に文証を引くとは、経に云く「(また)舎利(しゃり)(やす)んずることを(もち)いず」等と云云。天台云く「(さら)生身(しょうじん)舎利(しゃり)を安んずるを須いず」等云云。妙楽云く「生身(しょうしん)全砕(ぜんさい)は釈迦・多宝の如し」と云云。法華(ほっけ)三昧(さんまい)に云く「(いま)だ必ずしも形像(ぎょうぞう)舎利を安んずることを須いず」等云云。

本尊問答抄に云く「問うて云く、(しか)らば汝()(かん)ぞ釈迦を以て本尊とせずして法華経の題目を本尊とするや、答う上に()ぐるところの経釈を見給ヘ(わたくし)の義にはあらず」と云云。

門徒存知に云く「五人一同に云く、本尊に於ては釈迦如来を(あが)め奉る可し乃至日興が云く、聖人御立(おたて)の法門に於ては(まった)絵像(えぞう)・木像の仏菩薩を以て本尊と為さず、(ただ)御書の(こころ)(まか)せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為す可し、即ち御自筆の本尊(これ)なり」等云云。

問う、(れん)()の影像を造立して本尊と崇め奉る、其の(いわれ)如何(いかん)

答う、(はじ)めに道理を明かす。

一には是れ下種の教主なるが故に。(いわ)、末法は()れ本未有善の衆生なり。故に不軽(ふきょう)大を以て而して(これ)を強毒するの時なり。「日蓮は不軽の(あと)を紹継す」等云云

二には三徳の縁深きが故に。謂く「日蓮は日本国の人人の父母ぞかし・主君ぞかし明師(めいし)ぞかし」と云云。

三には人法体一なるが故に。伝教(でんぎょう)云く「念三千即自受(じじゅ)(ゆう)(しん)」等云云。

宗祖云く「妙法蓮華経こそ本仏にては御座(おわし)候ヘ」と云云。妙楽云く「本地(ほんち)の自行は(ただ)円と合す」等云云。

次に文証を引くとは、血脈抄に云く「仏は熟脱の教主、(それがし)は下種の法主なり」と云云。又云く「内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因(ほんにん)(みょう)の事なり、其の教主は某なり」等云云。

開目抄の始めに云く「一切衆生の尊敬(そんぎょう)すべき者(みつ)あり所謂(いわゆる)主師親是れなり」と。

終りに云く「日蓮は日本国の諸人にしうし(主師)父母なり」等云云。(つくり)()めの()(えい)(しょう)御影等、之を思い合すべし。


                    つづく

文段下 目次



by johsei1129 | 2015-09-23 22:08 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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