人気ブログランキング |

日蓮大聖人『御書』解説

nichirengs.exblog.jp
ブログトップ
2015年 09月 21日

身延入山から七年目の大坊建設の経緯と波木井実長の法華経信仰を厳しく咎めた書【地引御書】

【地引御書】
■出筆時期:弘安四年(1281年)十一月二十五日 六十歳御作
■出筆場所:身延山中の大坊にて。
■出筆の経緯:本書は身延山中の草庵の地主南部六郎(波木井実長・さねなが)にあてられた書です。
大聖人が文永11年(1274)の五月十七日に鎌倉から身延山中に居を移され、質素な草庵を設けてから七年目にして十間四面の大坊が完成、その建設過程を詳細に記された書となっております。

大坊の竣工は大聖人御遷化の僅か一年前であった。大聖人はその大坊の完成を祝いに集った檀信徒の様子を「人のまいる事、洛中かまくらのまちの申酉(さるとり)の時のごとし」と記し、その賑やかさはまるで京や鎌倉の申酉(夕方五時頃)ごろのようであると喜ばれておられます。

しかしこの祝いの日に地主の波木井実長の姿がありませんでした。そのこともあり、当日の夜九時頃、三十人程で「一日経(一日で法華経一部の書写する修行」を実施したが、途中で止めたと記しておられます。其の訳は「御きねん(祈念)かなはずば、言(ことば)のみ有て実なく、華咲いて木の実なからんか<中略>此の事叶はずば、今度法華経にては仏になるまじきかと存じ候はん」と諭されると共に「叶て候はば、二人よりあひまいらせて、供養しはてまいらせ候はん」と励まされておられます。

実長の祈念の内容は不明ですが、何故、実長が大坊が完成したという慶事に参加しなかったのかは、恐らくこの大坊建設に実長は殆ど資金を供養していなかったのではないかと推察されます。大聖人は実長の子息が建設のための地ならし、柱を建てる作業に真面目に参加していたことは「次郎殿等の御きうだち(公達)、をやのをほせ(仰せ)と申し、我が心にいれてをはします事なれば」と記されておられます。また大坊の建設費は「坊はかまくらにては一千貫にても大事とこそ申候へ」と記し、鎌倉では一千貫出しても出来ないだろうと人々が申していると記しておられるが、実長に供養の感謝の言葉は全く記されおりません。

通常、大聖人は供養があった時の返書の消息では、最初に供養の品物の種類、数量を全て細かく記して感謝の意を表されておられます。金額の大小に関わらず、もし実長が大坊建設資金として応分の供養をしていたならば、大聖人は本書で必ずそのことに触れていたはずである。7年間も粗末な草庵で過ごされている状態を見て見ぬふりをしていた実長が、檀徒・信徒が募って供養し建設にこぎつけた大坊の落成祝いの場に、出て来る訳には行かなかったのだろう。大聖人はその実長の不誠実な信仰心を喝破し「此の事叶はずば法華経信じてなにかせん。事事又又申すべく候」と念押しされておられます。

そして大聖人御遷化の後、大聖人の遺言でこの大坊(久遠寺)の当主となった第二祖日興上人に違背することになり、日興上人は断腸の思い出、身延離山を決意、南条時光の招きで霊峰富士山の麓上野郷に広布の拠点を設けることになります。
■ご真筆:身延山久遠寺に存在したが明治八年の大火で焼失。

[地引御書 本文]

坊は十間四面に、またひさし(庇)さしてつくりあげ、二十四日に大師講並に延年、心のごとくつかまりて、二十四日の戌亥(いぬい)の時、御所にすゑ(集会)して、三十余人をもつて一日経かきまいらせ、並に申酉の刻に御供養すこしも事ゆへなし。
坊は地びき、山づくり候ひしに、山に二十四日、一日もかた時も雨ふる事なし。十一月ついたちの日、せうばう(小坊)つくり、馬(ま)やつくる。八日は大坊のはしらだて、九日十日ふ(葺)き候ひ了ぬ。しかるに七日は大雨、八日九日十日はくもりて、しかもあたたかなる事、春の終りのごとし。十一日より十四日までは大雨ふり、大雪下て、今に里にきへず。山は一丈二丈雪こほりて、かたき事かねのごとし。 二十三日四日は又そらはれて、さむからず。人のまいる事、洛中かまくらのまちの申酉の時のごとし。さだめて子細あるべきか。

次郎殿等の御きうだち(公達)、をやのをほせ(仰せ)と申し、我が心にいれてをはします事なれば、われと地をひき、はしらをたて、とうびやうえ(藤兵衛)、むま(右馬)の入道、三郎兵衛の尉等已下の人人、一人もそらく(疎略)のぎなし。
坊はかまくらにては一千貫にても大事とこそ申候へ。
ただし一日経は供養しさして候。其の故は御所念の叶はせ給て候ならば供養しはて候はん。
なにと申して候とも、御きねんかなはずば、言のみ有て実なく、華さいてこのみ(木の実)なからんか。
いまも御らんぜよ。此の事叶はずば、今度法華経にては仏になるまじきかと存じ候はん。
叶て候はば、二人よりあひまいらせて、供養しはてまいらせ候はん。
神なら(習)はすは、ねぎ(祢宜)からと申す。此の事叶はずば法華経信じてなにかせん。事事又又申すべく候。
恐々。

十一月二十五日   日 蓮 花押 
南部六郎殿 

by johsei1129 | 2015-09-21 00:10 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://nichirengs.exblog.jp/tb/24490487
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。


<< 日本国の第一の不思議には釈迦如...      観心本尊抄文段 下二十  「彼... >>