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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 09月 18日

観心本尊抄文段 下一八

一 本門を以て(これ)を論ずれば等

此の下は次に本門なり。血脈抄(しゅ)二十に云く「後の十四品皆流通(るつう)の本迹。本果(ほんが)(みょう)の釈尊本因(ほんにん)妙の上行菩薩を召し(いだ)す事は一向(いっこう)に滅後末法利益の(ため)なり、(しか)る間・日蓮修行の時は、後の十四品(みな)滅後の流通分なり」等云云。

本門(また)二と為す。初めに正釈、次に引証(いんしょう)。初めの正釈、三と為す。初めに(ひょう)、次に「所謂」の下は釈、三に「在世の本門」の下云云。

初めの標の文に「一向(いっこう)」等と云うは、(けだ)し迹門は通じて滅後の為、別して末法の為なり。本門は(しか)らず、向に末法の初めを以て正と為すなり。

次に「所謂」の下は釈、亦二と為す。初めに一往(いちおう)在世の正宗を示し、次に再往末法の流通(るつう)を示す。

初めの文に云く「()(しゅ)を以て下種と為し、大通・(ぜん)四味(しみ)・迹門を(じゅく)と為し、本門に至って等妙に(のぼ)らしむるを脱と()す」(取意)とは、

問う、此の文は一類に約すとせんや、総じて一切に(わた)るとせんや。

答う、(まさ)しく是れ切に亘るなり。其の故は本門を以て(すで)に両意と為す。往在世の(ため)、再往末法の為云云。(あに)(ただ)類のみを()げて之を判ずべけんや。(いわん)や迹門の往既に切に亘る、本門の(あに)(しか)らざらんや。故に下の文に「病(ことごと)(のぞ)こり()えぬ」の文を引いて云く「久遠下種・大通結縁(けちえん)乃至(ないし)前四味・迹門等の一切の菩薩・二乗・人天等の本門に於て得道する是なり」云云。即ち此の文に同じ。(あに)切に亘るに(あら)ずや。

問う、今日の二乗等は是れ大通下種・迹門(とく)(だつ)の人なり。何ぞ大通・迹門を以て熟益(じゅくやく)に属すべけんや。故に知んぬ、今文は(まさ)類に約すべし。故に(にっ)(ちょう)決疑(けつぎ)抄の意は、此の文を以て四節の中の第節、本種現脱の類と為すなり。如何(いかん)

答う、二乗等は是れ大通下種迹門得脱とは、是れ天台(てんだい)の第二、今家の第教相(きょうそう)の意なり。此れは是れ一往(いちおう)なり。若し天台の第三、今家の第二の教相の意は、()の二乗等も実に是れ久遠下種の人なり。故に大通を以て(なお)熟益(じゅくやく)に属するなり。(また)迹門得脱とは、(ただ)是れ当分の得脱にして()(せつ)の得脱に非ず。此れ即ち久遠(くおん)下種を明かさざる故なり。故に迹門を以て(なお)熟益に属するなり。日(なお)天台の教相を知らず、(いわん)や当家の教相を知らんや。(いわん)や四節の中の第一節は序品得脱の人なり。故に「今日(こんにち)雨華(うけ)動地(どうち)」等と云う。何ぞ本門得脱の人とせんや。澄、尚台家(たいけ)に暗し、況や当家を(さと)らんや。

問う、今日(こんにち)の本門に妙覚の益なし、何ぞ「等妙」と云うや。

答う、文上の所談は実に所問の如し。若し文底の意は、(みな)名字妙覚の位に至るが故なり。取要抄愚記の如し云云。

文に云う「再往之を見れば」等とは、此の下は次に再往末法流通(るつう)を明かすなり。

「迹門には似ず」とは、若し迹門の意は流通段より立ち(かえ)って之を見れば末法の(ため)なり。本門は(しか)らず。始め序分より(ただ)ちに末法の為なり。故に「似ず」と云うなり。仏の本化を()すは、(あに)末法の為に非ずや。

                 つづく
文段下 目次




by johsei1129 | 2015-09-18 07:23 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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