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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 09月 17日

齢既に六十に満ぬ<略>今年は過ぎ候とも一二をば如何か過ぎ候べきと自らの死期を示唆した【八幡宮造営事】

【八幡宮造営事】
■出筆時期:弘安四年(1281年)五月二十六日 六十歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は、鎌倉幕府作事奉行(建築・土木部門の長官)であった父の家督を継いた池上兄弟が、讒言により半年前の鎌倉の大火で焼失した八幡宮の再建の造営の任から外されたとの報告を受けたことへの返書となっております。
大聖人は冒頭で自身の病状が思わしくなく「齢既に六十にみちぬ、たとひ十に一今年はすぎ候とも一二をばいかでかすぎ候べき」と、例え今年は生き長らえたとしても、そのあと一、二年を過ごすことはできないだろうと、自らの死期を示唆されておられます。釈尊も三ヶ月後には滅度すると弟子に語っており、これは突然なくなって弟子・信徒が嘆くのを和らげるため、覚悟をしておくよう促された仏の深い慈悲であると拝します。
その苦しい中で「此の事大事なれば苦を忍んで申すものうしとおぼすらん一篇きこしめすべし」と、この消息を送ることの重要さを伝えておられます。

本書で大聖人は、池上兄弟が八幡宮造営の任を外されたことについて「かかる者(日蓮)の弟子檀那と成りて候が八幡宮を造りて候へども八幡大菩薩用いさせ給はぬゆへに此の国はせめらるるなりと申さむ時はいかがすべき<中略>(御造営の)はづるるも天の御計いか」と記し、蒙古に攻められた時世間の人々は、大聖人の弟子檀那が建てたからだと非難されたらどうするか、これは天の御計と考えなさい」と諭されておられます。

また文末では「あだみうらむる気色なくて身をやつし、下人をもぐせずよき馬にものらず<中略>此の事一事もたがへさせ給うならば今生には身をほろぼし後生には悪道に堕ち給うべし、返す返す法華経うらみさせ給う事なかれ」と、この度の事を恨むことなく、良い馬に乗らず質素に暮らすよう語りかけるとともに、日蓮の教えに一つでも違うなら、必ず悪道に落ちるのでその時は法華経を恨むでないと厳しく指導されておられます。
■ご真筆:現存しておりません。

[八幡宮造営事出家功徳御書 本文]

此の法門申し候事すでに廿九年なり、日日の論義月月の難両度の流罪に身つかれ心いたみ候いし故にや此の七八年間が間年年に衰病をこり候いつれどもなのめにて候いつるが、今年は正月より其の気分出来して既に一期をわりになりぬべし、其の上齢(よわい)既に六十にみちぬ、たとひ十に一今年はすぎ候とも一二をばいかでかすぎ候べき。
忠言は耳に逆い、良薬は口に苦(にが)しとは先賢の言なりやせ病の者は命をきらう佞人(ねいじん)は諌(いさめ)を用いずと申すなり。

此の程は上下の人人の御返事申す事なし、心もものうく手もたゆき故なり、しかりと申せども此の事大事なれば苦を忍んで申す、ものうしとおぼすらん一篇きこしめすべし、村上天皇の前(さきの)中書王の書を投げ給いしがごとくなることなかれ。

さては八幡宮の御造営につきて一定(いちじょう)さむそう(讒奏)や有らんずらむと疑いまいらせ候なり、をや(親)と云ひ我が身と申し二代が間きみにめしつかはれ奉りてあくまで御恩のみなり、設(たとい)一事相違すともなむのあらみ(粗略)かあるべき、わがみ賢人ならば設上(たとい・かみ)よりつかまつるべきよし仰せ下さるるとも一往はなに事につけても辞退すべき事ぞかし、幸に讒臣(ざんしん)等がことを左右によせば悦んでこそあるべきに望まるる事一の失(とが)なり。

此れはさてをきぬ五戒を先生に持ちて今生に人身を得たり、されば云うに甲斐なき者なれども国主等謂(いわれ)なく失にあつれば守護の天いかりをなし給う、況や命をうばわるる事は天の放ち給うなり、いわうや日本国四十五億八万九千六百五十九人の男女をば四十五億八万九千六百五十九の天まほり給うらん、然るに他国よりせめ来る大難は脱るべしとも見え候はぬは、四十五億八万九千六百五十九人の人人の天にも捨てられ給う上、六欲四禅梵釈日月四天等にも放たれまいらせ給うにこそ候いぬれ、然るに日本国の国主等八幡大菩薩をあがめ奉りなばなに事のあるべきと思はるるが、八幡は又自力叶いがたければ宝殿を焼きてかくれさせ給うか、然るに自(みずから)の大科をばかへりみず宝殿を造りてまほらせまいらせむとおもへり。

日本国の四十五億八万九千六百五十九人の一切衆生が釈迦多宝十方分身の諸仏・地涌と娑婆と他方との諸大士十方世界の梵釈日月四天に捨てられまひらせん分斉の事ならば、はづ(僅)かなる日本国の小神天照太神八幡大菩薩の力及び給うべしや。

其の時八幡宮はつくりたりとも此の国他国にやぶられば、くぼきところにちりたまり、ひききところに水あつまると、日本国の上一人より下万民にいたるまでさた(沙汰)せむ事は兼て又知れり、八幡大菩薩は本地は阿弥陀ほとけにまします、衛門(えもん)の大夫は念仏無間地獄と申す、阿弥陀仏をば火に入れ水に入れ其の堂をやきはらひ念仏者のくびを切れと申す者なり。かかる者の弟子檀那と成りて候が八幡宮を造りて候へども八幡大菩薩用いさせ給はぬゆへに此の国はせめらるるなりと申さむ時はいかがすべき。
然るに天かねて此の事をしろしめすゆへに御造営の大ばんしやうをはづされたるにやあるらむ神宮寺の事のはづるるも天の御計(はから)いか。

其の故は、去ぬる文永十一年四月十二日に大風ふきて其の年の他国よりおそひ来るべき前相なり、風は是れ天地の使なりまつり事あらければ、風あらしと申すは是なり。又今年四月廿八日を迎えて此の風ふき来る。而るに四月廿六日は八幡のむね上(あげ)と承はる、三日の内の大風は疑なかるべし、蒙古の使者の貴辺が八幡宮を造りて此の風ふきたらむに人わらひさた(沙汰)せざるべしや。

返す返す穏便にして、あだみうらむる気色なくて身をやつし下人をもぐせずよき馬にものらず、のこぎりかなづち手にもちこし(腰)につけて、つねにえ(咲)めるすがたてにておわすべし。
此の事一事もたがへさせ給うならば今生には身をほろぼし後生には悪道に堕(お)ち給うべし、返す返す法華経うらみさせ給う事なかれ、恐恐。

五月廿六日         日 蓮 花押

大夫志殿
兵衛志殿

by johsei1129 | 2015-09-17 20:11 | 池上兄弟 | Trackback | Comments(0)
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