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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 09月 14日

南無妙法蓮華経と申す女人の思う子にあわずという事はなし、と説いた【上野尼御前御返事】

【上野尼御前御返事】
■出筆時期:弘安四年(1281年)一月十三日 六十歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は南条時光の母、上野尼御前が新年の祝いで種々のご供養をされたことへの返書となっております。
本抄で大聖人は、四ヶ月ほど前にわずか十六歳で病死した末っ子の七郎五郎(時光の弟)についふれ「ちりし花もさかんとす、かれしくさ(草)もねぐみぬ、故五郎殿もいかでか、かへらせ給はざるべき」と記し、花も草も春になればまた咲き、生えてくるのに、何故故五郎殿は帰ってこないのかと上野尼御前の悲しみを慰められておられます。大聖人は、五郎が急死する三か月前に、時光が五郎を伴い身延に見参した時に会っており「心ね、みめかたち人にすぐれて候いし上<中略>をやの心に随うこと、水のうつわものにしたがい、かげの身にしたがうがごとし」と故五郎が親孝行の子供であったと讃えられておられます。※参照[上野殿御返事(弔慰御書)]
さらに文末では、「やすやすとあわせ給うべき事候、釈迦仏を御使として・りやうぜん(霊山)浄土へまいりあわせ給へ<中略>花はなつにならずとも、南無妙法蓮華経と申す女人のをも(思)う子にあわずという事はなしととかれて候ぞ、いそぎ・いそぎつと(勤)めさせ給へ」と記し、霊山浄土で必ず故五郎に再びまみえることができるので唱題に励むよう諭されておられます。
■ご真筆:富士大石寺所蔵(非一般公開)。

[上野尼御前御返事 本文]

聖人(すみざけ)ひとつつ(一筒)・ひさげ(提子)十か・十字百・あめ(飴)ひとをけ・二升か・柑子(こうじ)ひとこ(一籠)・串柿十くし・ならびにおくり候い了(おわ)んぬ、春のはじめ御喜び花のごとくひらけ・月のごとくみたせ給うべきよしうけ給わり了んぬ。
抑(そもそも)故五らうどのの御事こそ・をもいいでられて候へ、ちりし花もさかんとす・か(枯)れしくさもねぐみぬ、故五郎殿もいかでか・かへらせ給はざるべき、あわれ無常の花と・くさとのやうならば・人丸にはあらずとも花のもとも・はなれじ、いは(繋)うるこま(馬)にあらずとも・草のもとをばよもさらじ。

経文には子をばかたき(敵)ととかれて候、それもゆわれ候か・梟(ふくろう)と申すとりは母をくらう・破鏡(はけい)と申すけだものは父をがいす、あんろく(安禄)山と申せし人は師史明と申す子にころされぬ、義朝(よしとも)と申せしつはものは為義(ためよし)と申すちちをころす、子はかたきと申す経文ゆわれて候、又子は財と申す経文あり、妙荘厳王は一期(ご)の後・無間大城と申す地獄へ堕ちさせ給うべかりしが浄蔵(じょうぞう)と申せし太子にすくわれて・大地獄の苦をまぬがれさせ給うのみならず・娑羅樹(しゃらじゅ)王仏と申す仏とならせ給う、生提女(しょうだいにょ)と申せし女人は慳貪(けんどん)のとがによつて餓鬼道に堕ちて候いしが・目連と申す子にたすけられて餓鬼道を出で候いぬ、されば子を財と申す経文たがう事なし。

故五郎殿はとし十六歳・心ね・みめかたち(容貌)人にすぐれて候いし上・男ののうそなわりて万人に・ほめられ候いしのみならず、をやの心に随うこと・水のうつわものに・したがい・かげの身に・したがうがごとし、いへにては・はしらとたのみ・道にては・つへ(杖)とをもいき、はこのたからも・この子のため・つかう所従もこれがため、我しなば・になわれて・のぼ(野辺)へゆきなんのちの・あとをもいをく事なしとふかくをぼしめしたりしに・いやなくさきにたちぬれば・いかんにや・いかんにや・ゆめか・まぼろしか・さめなん・さめなんと・をもへども・さめずして・としも又かへりぬ、いつとまつべしとも・をぼへず、ゆきあうべき・ところだにも申しをきたらば・はね(羽)なくとも天へものぼりなん、ふねなくとも・もろこし(唐土)へも・わたりなん、大地のそこに・ありときかば・いかでか地をもほらざるべきと・をぼしめすらむ。
やすやすとあわせ給うべき事候、釈迦仏を御使として・りやうぜん(霊山)浄土へまいりあわせ給へ、若有聞法者無一不成仏(にゃくうもんぽうしゃ・むいつふじょうぶつ)と申して、大地はささば・はづるとも・日月は地に堕ち給うとも・しを(潮)はみちひぬ世はありとも・花はなつにならずとも・南無妙法蓮華経と申す女人の・をもう子に・あわずという事はなしととかれて候ぞ、いそぎ・いそぎつとめさせ給へ・つとめさせ給へ、恐恐謹言。

正月十三日           日 蓮 花押
上野尼御前御返事


【 妙法蓮華経 方便品第二】
 一切諸如来 以無量方便
 度脱諸衆生 入仏無漏智
 若有聞法者 無一不成仏
 諸仏本誓願 我所行仏道
 普欲令衆生 亦同得此道

 [和訳]
 一切の諸の如来は、無量の方便を以て
 諸の衆生を度脱(解脱)し、仏の無漏智(迷いの ない智慧)に入らしめん。
 若し(此の)法を聞く者有らば、一人として成仏せずこと無からん
 諸仏の本の誓願は、我が行ぜし所の仏道を
 普ねく衆生をして、亦、(佛と)同じく此の道(仏道)を得さしめることなのだ。

by johsei1129 | 2015-09-14 23:04 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)
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