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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 09月 13日

開目抄愚記 下三九

  第四十八段  適時(ちゃくじ)()(きょう)を明かす

一 疑つて云く念仏者と(ぜん)宗等

  当巻十五の「疑つて云く当世の念仏宗と禅宗」の下は、(まさ)しく法華の行者(ぎょうじゃ)(あらわ)す、文(また)二と為す。初めに経を引いて身に()て、次に今文の下は適時(ちゃくじ)の弘教を明かすなり。大科の意、之を思え、之を思え。

()の下に適時の弘教を明かす、亦三あり。初めに問、次に答、三に「問うて云く」の下は料簡(りょうけん)なり。答の文に亦三あり。初めに明文を引いて難を(ふせ)ぎ、次に「夫れ摂受」の下は正しく釈し、三に「末法に摂受」の下は意を(けっ)するなり。

一 止観(しかん)に云く等

  第十・三十五下、下の弘決(ぐけつ)十・六十一。

一 一には(しょう)・二には(しゃく)

  摂受(しょうじゅ)折伏(しゃくぶく)の名目は、勝曼(しょうまん)経に()でたり。彼の経四に云く「此の衆生を見て、(まさ)に折伏すべき者は(これ)を折伏し、応に摂受すべき者は(これ)を摂受す。何を以ての故に。折伏・摂受を以ての故に法をして久住(くじゅう)せしむ」等云云。文随八・五十九に云く「折伏とは(ただ)是れ折破(しゃくは)調伏(じょうぶく)なり。摂受とは彼の機を(せっ)して(これ)を受用するなり」等云云。

「大経に(とう)(じょう)(しゅう)()し」とは第三・五十三、「下の文、(せん)()」とは十一巻二十、「(また)」は二巻九十五。

一 文句(もんぐ)に云く等

  第八・六十六。「弓を持ち()(たい)し」とは、是れ()()に約す。今の所用(しょゆう)(ただ)是れ折伏の辺を取るのみ。

一 一子地(いっしじ)に住す等

  「一子地」は是れ初地(しょじ)なり。此れ則ち此の位に法界の衆生を一子の如く慈念(じねん)するが故なり。故に摂受(しょうじゅ)(あた)るなり。

一 涅槃(ねはん)経の(しょ)に云く、出家・在家、法を(まも)らん等

  第四巻三十三。此の文の中の「出家」の二字は、伝写に(あやま)って加えたるか。(いわ)く、此の所引の文を本文に引き合せて之を写すの時、本文を謬見(びゅうけん)して(そつ)()に是れを加えたるか。彼の本文に云く「(ぜん)男子(なんし)正法を護持すとは広答、二と()す。一には在家、二には出家。在家の法を(まも)らんには其の(がん)(しん)所為(しょい)を取る」等云云。(すで)に科目の「出家」の二字に続いて「在家」と云う。故に後人、時に(のぞ)んで「出家在家の護法」と謬見するか。必ずしも末法無戒の証に()せんと(ほっ)して、(みだり)(これ)を加えたるには(あら)ざるか。草山(そうざん)抄二十九・五、()いて見よ。所詮(しょせん)は「出家」の両字を除くべし。此の文は在家の護法(ごほう)を明かすが故なり。

  問う、今(すで)に「(ねが)って人及び教典の(とが)を説かざれ」等の文を引いて、(ただ)ちに蓮祖の弘通(ぐつう)を難ず。何ぞ在家の護法(ごほう)を引いて此の難に()すべきや。

  答う、今の意は在家・出家に(こだ)わるには非ず、(ただ)是れ(しょう)(しゃく)二門の修行には(ごう)(にゅう)・水火の異同あることを知らしめんが為に、経釈の明文を引いて邪難を(ふせ)ぐなり。

  問う、()(しか)らば、出家の人に於ては(とう)(じょう)を許さざるや。

  答う、今文は在家に約す。(しか)りと(いえど)も、出家の人に之を制するには非ず。故に開山の二十六箇に「刀杖等に於ては仏法守護の(ため)(これ)を許す。(ただ)し出仕の時節は(これ)(たい)す可からざるか」等云云。安国論愚記の如し。

一 ()()()(そん)して等

  威儀(いぎ)を修せざるは、即ち是れ事を()つるなり。正法を護持するは、即ち是れ理を(そん)するなり。

                   
                       つづく
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by johsei1129 | 2015-09-13 20:40 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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