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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 09月 12日

開目抄愚記 下三五


一 
謗法(ほうぼう)の世をば守護神()て去り諸天まほるべからず等

  問う、諌暁八幡抄二十七・二十五に云く「経文の(ごと)くんば南無妙法蓮華経と申す人をば大梵天(ぼんてん)帝釈(たいしゃく)日月(にちがつ)・四天等・昼夜に守護すべし」と云云。(あに)相違に非ずや。

  答う、諸天謗法の国を(しゃ)()すとは、安国論所引の四経の文に分明(ふんみょう)なり。(すで)に其の国を去れば、正法の行者も自ら放捨(ほうしゃ)せらるるの義なり。(しか)りと(いえど)も、若し正法の行者()の国に()らば必ず守護したもうべし。是れ()(ごう)別感あるが故に進退の判釈を(もう)けたまえり。

  故に諌暁八幡抄に云く「此の大菩薩は宝殿をやきて天にのぼ()給うとも法華経の行者・日本国に有るならば其の所に()み給うべし」と。

  又四条金吾抄十六・六十二に云く「されば八幡大菩薩は不正直をにくみて天にのぼ()り給うとも、法華経の行者を見ては(いかで)か其の影をばをしみ給うべき」(四条金吾殿許御文)と云云。()の意なり。

故に今諸天善神、守護無しと云うと(いえど)も、(また)守護あること分明なり。所謂(いわゆる)(たつの)(ぐち)光物(ひかりもの)()()の星(くだ)り、(あに)現証に非ずや。啓蒙(けいもう)一・三十一。


              つづく
開目抄愚記下 目次



by johsei1129 | 2015-09-12 16:26 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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