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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 09月 12日

開目抄愚記 下三三  謗者に現罰の或いは有り、或いは無き所以(ゆえん)

第四十四段 行者値難(ちなん)の故を明かす

一 有る人云く当世等

  此の下は次に遮難(しゃなん)、亦二あり。初めに行者(ぎょうじゃ)安穏(あんのん)謗者(ぼうしゃ)現罰(げんばつ)の文を(こもごも)引いて以て難を立て、次に答、亦二と()す。初めに正しく答え、次に「疑つて云く、いかにとして」の下は、行者値難(ちなん)の利益を明かす。初めの正しく答うる、(また)二と為す。初めに釈、次に「詮ずるところ」の下は結。初めの釈、亦二あり。

初めに(かえ)って行者値難の文を引いて反難し、次に「事の心」の下は謗者に現罰の(あるい)は有り或は無き所以(ゆえん)を明かす、亦三と為す。一には行者宿(しゅく)(ざい)の有無に()り、二には謗者堕獄(だごく)(じょう)不定(ふじょう)に由り、三には守護(しゅご)(しん)(しゃ)・不捨に由る。

一 ()しは実にもあれ若しは不実にもあれ

  釈書の二十九・八。

一 若しは(せつ)若しは(がい)文。

  会疏(えしょ)の三・五十七。

一 仏は小指を提婆(だいば)にやぶられ

  大論の九・二、「目連(もくれん)」は(ぞう)一の十・十八巻十三。

一 提婆(だいば)菩薩。

  (とう)()五・二十紙、即ち三義を立つ云云。

一 師子(しし)尊者(そんじゃ)

  付法蔵(ふほうぞう)経の六・十一、正宗記の四・十三に往因を明かすなり。

一 (じく)の道生

  高僧伝の七・二、統紀の四十七・十七。

一 (ほう)(どう)火印(かなやき)文。

  四・二十一、統紀の四十七・十七、「北野」は啓蒙(けいもう)二十七・八十二。「(はく)(きょ)()」は九・二十四。

一 (つらつら)事の心を案ずるに等

  此の下は一には行者(ぎょうじゃ)宿(しゅく)(ざい)有無(うむ)()るとは亦二段あり。初めの文意は、宿謗(しゅくぼう)なき法華の行者を世間の(とが)に寄せ、或は世間の失無きを(あだ)すれば(たちま)ちに現罰有り。例せば修羅(しゅら)帝釈(たいしゃく)を射る等の如し。次の文の意は、宿謗有る法華経の行者をば(あだ)すれども現罰なきなり。「天台云く」等の文は、玄の六・十二、大論の九・三、(けい)(うん)一・六十六。

心地(しんじ)(かん)(ぎょう)」とは諸経要集十四・九に但「経に曰く」というのみにて「心地観経」とは云わず。古来(こらい)相伝して「心地観経」と云うなり。

不軽(ふきょう)品」とは補註(ふちゅう)十・十六、往いて見よ。

一 又順次生(じゅんじしょう)

  此の下は二には謗者堕獄(だごく)の定・不定に由るとは、(いわ)く順次生に必ず堕獄すべき者は、法華の行者に(あだ)すれども現罰無し。一闡提(いっせんだい)の如きは是れなり。()し順次生に堕獄不定の者は、或は現罰有り、夢中に羅刹(らせつ)の像を示し、菩薩心を(おこ)さしむる等のごとし。

一 一闡提人(いっせんだいにん)是れなり

  御書二十八・六に云く「今の世は(すで)に末法にのぞみて(乃至)日本国一同に一闡提・大謗法(ほうぼう)の者と()る」と云云。故に知んぬ、日本国一同に一闡提の人なることを。故に順次生に堕獄すること決定(けつじょう)の者なり。故に現罰なきなり。

一 涅槃(ねはん)経に云く、迦葉(かしょう)菩薩(ぼさつ)文。

  会疏(えしょ)九・十一、此の下は堕獄不定の人に約す。

枯木(こぼく)石山(しゃくせん)」等の文は、闡提堕獄決定の文を挙げて以て初義を結するなり。

一 例せば()(けつ)

  啓蒙(けいもう)十五・三十九、(ちゅう)千字(せんじ)上九、(もう)(ぎゅう)下十九。少々の天災ありといえども彼の極悪に望むれば、有りと(いえど)もなきが如し。故に無に属するなり。

       


                      つづく
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by johsei1129 | 2015-09-12 15:19 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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