人気ブログランキング |

日蓮大聖人『御書』解説

nichirengs.exblog.jp
ブログトップ
2015年 09月 11日

観心本尊抄文段 下一五

一 一(ぽん)二半よりの(ほか)等文。

文の意に(いわ)く、我が内証の寿量の品二半の外は小邪(しょうじゃ)未覆(みふく)なり等云云。

問う、()(しか)らば、文上の寿量品並びに前後の十三品は皆是れ「小邪未覆」なりや。

答う、是れ(しか)るべからず。今は是れ序正相対なり。序の中には既に本門無し。何ぞ「小邪未覆」と云わんや。

問う、迹門十四品は、(あるい)は序分と()し、或は流通(るつう)と為す。(いま)迹を以て本に例するに、文上の本門も(また)(また)(しか)るべし。何ぞ序分の中に之を(のぞ)くや。

答う、或は所問の如し。文上の本門も(また)序分に属すべし。序分に属すと(いえど)も、是れ「小邪未覆」に(あら)ず。是れ則ち「在世の本門と末法の初め一同に純円(じゅんえん)」なるが故なり。此の故に(しばら)之を除く。例せば()(ごん)の中に華厳の別教を除くが如く、誠諦(じょうたい)の下の(ずい)()の中に迹門の円を除くが如し。(しか)りと雖も通じて前四味三教を権と為し、及び権実(とも)是れ随他意と(しゃく)するが如く、(きわ)めて之を論ずるに、文上の本門は亦序分に属すべきなり。(しか)して文に之を除くことは是れ「小邪未覆」に(あら)ざる故なり。(つぶさ)に下に論ずるが如し。

問う、古来(こらい)の諸師は本門流通(るつう)の十品半を以て並びに「小邪未覆」に属す、此の義は如何(いかん)

答う、此れは是れ増滅両(ぼう)をもって妙判を加誣(かぶ)す。謂く、文底の正宗欠くるは是れ滅の謗なり。流通(るつう)の諸品を「小邪未覆」に属するは是れ増の謗なり。妙楽(みょうらく)云く「本門遠ざかり(おわ)れば更に遠からざること無し」等云云。何ぞ流通(るつう)の諸品を以て「小邪未覆」に属すべけんや。

此の下は序分の()を以て正宗の()(あらわ)、亦二と為す。初めに在世に約し、以て「爾前・迹門」の下は滅後に約す。初文(また)二と為す。初めに法、次に「其の機を論ずれば」の下は(にん)

文に「小邪(しょうじゃ)未覆(みふく)」と云うは、今(いわ)く、我が内証の寿量の品二半の(ほか)の序分の経々には、久遠(くおん)元初(がんじょ)の種子の法体(ほったい)を明かさざる故に「小邪未覆」と云うなり。()し別して之を論ぜば、久遠元初の大久(だいきゅう)の仏道を明かさざる故に「小乗教」と云うなり。久遠元初の種家(しゅけ)の因果を明かさざる故に「邪見教」と云うなり。久遠元初の無上(むじょう)の種子を明かさざる故に「()(とく)(どう)(きょう)」と云うなり。久遠元初の真秘を明かさざる故に「()()教」と云うなり。

文に「其の機を論ずれば」等とは、本種を退忘する故に「(とく)(はく)」と云うなり。漸々(ぜんぜん)に迹に執する故に「()(じゅう)」と云うなり。本退(しりぞ)いて迹を取るは、体を忘れて影に(しゅう)するが如し。其の(おろか)(あたか)も小児の如きが故に「幼稚(ようち)」と云うなり。久遠元初の主君を知らざる故に「貧窮(びんぐ)」と云い、久遠元初の父母を知らざる故に「()()」と云うなり。久遠元初の師恩を知らざる故に「禽獣(きんじゅう)に同ず」と云うなり。

問う、序分の()を以て正宗(しょうしゅう)()を顕す(こころ)如何(いかん)

答う、()其の法を論ずれば、我が内証の寿量品には久遠元初の大久の仏道を明かす、故に大乗教なり。久遠元初の種家(しゅけ)の因果を明かす故に(しょう)(けん)の教なり。久遠元初の無上の種子を明かす故に得道の教なり。久遠元初の真秘を明かす故に(けん)()の教なり。()其の人を論ずれば、法華本門の直機(じっき)にして文底下種の主師親・久遠元初の自受(じじゅ)(ゆう)(しん)寵臣(ちょうしん)なり、愛子なり、入室の弟子なり。古来の諸師()義に同ぜず。学者(よろ)しく()之を思うべし。


                   つづく
文段下 目次

(
)



by johsei1129 | 2015-09-11 21:52 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://nichirengs.exblog.jp/tb/24459436
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。


<< 観心本尊抄文段 下一六      諌暁八幡抄三 On Repri... >>