2019年 11月 23日
【秋元御書】 ■出筆時期:弘安三年(1280年)一月二十七日 五十九歳御作 ■出筆場所:身延山中の草庵にて。 ■出筆の経緯:本抄は富木常忍の同郷の縁戚と言われている、秋元太郎兵衛尉に送られた長文の消息で、秋元殿から筒御器(つつごき)三十、盞(さかづき)六十枚を御供養された事への返書となっております。 大聖人は供養された筒御器に因(ちな)み「覆(ふく)・漏(ろ)・汀(う)・雑(ぞう)」の四つの失(とが)に例えて、正しい信仰のあり方を説かれておられます。 第一の「覆」はくつがえって器の役割を果たさない状態を示し、これは心を閉ざして法華経信仰を受け入れないことを意味します。 第二の「漏」は器にヒビが入り中身が漏れる状態で、法華経を受け入れても肝心の法門の内容を漏らしてしまうことを意味します。 第三の「汀」は汚れている器の状態で、正法を聞いても心が汚れているので、正しく受け止めることができない信仰を意味します。 第四の「雑」は不要なものが混ざっている器の状態で、法華経を信仰しても、時には念仏等の爾前教の教えを信じたりする誤った信仰を意味します。 大聖人は法華経の文を引いて「但大乗経典を受持することを楽(ねが)うて乃至(ないし)余経の一偈をも受けざれ」と断じ、純粋な気持ちで法華経信仰を貫くことを諭されておられます。また文末では身延の草庵での暮らしぶりについて「庵室は七尺・雪は一丈・四壁は冰(こおり)を壁とし、軒のつららは道場荘厳の瓔珞(ようらく)の玉に似たり。内には雪を米と積む。本より人も来らぬ上・雪深くして道塞がり、問う人もなき処なれば現在に八寒地獄の業を身につぐ(償)のへり。生きながら仏には成らずして又寒苦鳥と申す鳥にも相似たり。頭は剃る事なければうづらの如し。衣は冰にとぢられて鴦鴛(えんおう)の羽を冰の結べるが如し」と記し、現在では二月中旬にあたる最も寒さの厳しい冬の身延山中の状況を伝えておられます。 さらに本消息の結びで「此の御器を給いて雪を盛りて飯と観じ、水を飲んでこんず(漿)と思う。志のゆく所・思い遣らせ給へ」としたため、最も必要としているのは器に盛る米であることに思いやられよ、と率直に心情を吐露されておられます。 ■ご真筆:現存しておりません。 [秋元御書 本文] 筒御器(つつごき)一具 付三十 並に盞(さら) 付六十 送り給び候い畢んぬ。御器と申すは・うつはものと読み候。大地くぼければ水たまる、青天浄(きよ)ければ月澄めり、月出でぬれば水浄し、雨降れば草木昌(さか)へたり、器(うつわ)は大地のくぼきが如し、水たまるは池に水の入るが如し、月の影を浮ぶるは法華経の我等が身に入らせ給うが如し。 器に四つの失(とが)あり・一には覆(ふく)と申してうつぶけるなり・又はくつがへす・又は蓋(ふた)をおほふなり。二には漏(ろ)と申して水もるなり。三には汀(う)と申して・けがれたるなり。水浄けれども糞の入りたる器の水をば用ゆる事なし。四には雑(ぞう)なり。飯に或は糞・或は石・或は沙(すな)・或は土なんどを雑へぬれば人食(くら)ふ事なし。 器は我等が身心を表す。我等が心は器の如し、口も器・耳も器なり。法華経と申すは仏の智慧の法水を我等が心に入れぬれば・或は打ち返し・或は耳に聞かじと左右の手を二つの耳に覆(おお)ひ・或は口に唱へじと吐き出しぬ。譬えば器を覆するが如し。或は少し信ずる様なれども又悪縁に値うて信心うすくなり、或は打ち捨て、或は信ずる日はあれども捨つる月もあり、是は水の漏(もる)が如し。或は法華経を行ずる人の一口(ひとくち)は南無妙法蓮華経・一口は南無阿弥陀仏なんど申すは飯に糞を雑へ、沙石(いさご)を入れたるが如し。 法華経の文に「但大乗経典を受持することを楽(ねが)うて乃至余経の一偈をも受けざれ」等と説くは是なり。世間の学匠は法華経に余行を雑えても苦しからずと思へり。日蓮も・さこそ思い候へども経文は爾らず。譬えば后の大王の種子(たね)を妊(はら)めるが、又民と・とつげば王種と民種と雑りて天の加護と氏神(うじがみ)の守護とに捨てられ其の国破るる縁となる。父二人出来れば王にもあらず、民にもあらず、人非人なり。法華経の大事と申すは是なり、種熟脱の法門・法華経の肝心なり。三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏になり給へり。南無阿弥陀仏は仏種にはあらず。真言五戒等も種ならず。能く能く此の事を習い給べし。是は雑なり。 此の覆・漏(ろ)・汀(う)・雑(ぞう)の四つの失を離れて候器をば完器(かんき)と申して・またき器なり。塹(ほり)・つつみ(堤)漏らざれば水・失(うせ)る事なし。信心のこころ全ければ平等大慧の智水乾く事なし。今此の筒の御器は固く厚く候上・漆浄く候へば、法華経の御信力の堅固なる事を顕し給うか。毘沙門天は仏に四つの鉢を進らせて四天下・第一の福天と云はれ給ふ。浄徳夫人は雲雷音王仏に八万四千の鉢を供養し進らせて妙音菩薩と成り給ふ。今法華経に筒御器(つつごき)三十・盞(さら)六十・進(まい)らせて争でか仏に成らせ給はざるべき。 抑・日本国と申すは十の名あり。扶桑・野馬台(やまと)・水穂・秋津洲(あきつしま)等なり。別しては六十六箇国・島二つ・長さ三千余里・広さは不定なり。或は百里・或は五百里等。五畿・七道・郡は五百八十六・郷は三千七百二十九・田の代(しろ)は上田一万一千一百二十町・乃至八十八万五千五百六十七町、人数は四十九億八万九千六百五十八人なり、神社は三千一百三十二社・寺は一万一千三十七所・男は十九億九万四千八百二十八人・女は二十九億九万四千八百三十人なり、 其の男の中に只日蓮・第一の者なり。何事の第一とならば男女に悪(にく)まれたる第一の者なり。其の故は日本国に国多く人多しと云へども、其の心一同に南無阿弥陀仏を口ずさみとす。阿弥陀仏を本尊とし九方を嫌いて西方を願う。設い法華経を行ずる人も真言を行ふ人も、戒を持つ者も・智者も・愚人も余行を傍として念仏を正とし、罪を消さん謀(はかりごと)は名号なり。故に或は六万・八万・四十八万返・或は十返・百返・千返なり。 而るを日蓮一人・阿弥陀仏は無間の業・禅宗は天魔の所為・真言は亡国の悪法・律宗持斎等は国賊なりと申す故に、上一人より下万民に至るまで父母の敵・宿世の敵・謀叛・夜討・強盗よりも或は畏れ・或は瞋(いか)り・或は詈(の)り・或は打つ。是を謗(そし)る者には所領を与へ、是を讃むる者をば其の内を出だし、或は過料を引かせ、殺害したる者をば褒美なんど・せらるる上・両度まで御勘気を蒙れり。当世第一の不思議の者たるのみならず、人王九十代・仏法渡りては七百余年なれども・かかる不思議の者なし。日蓮は文永の大彗星の如し、日本国に昔より無き天変なり。日蓮は正嘉(しょうか)の大地震の如し、秋津洲に始めての地夭なり。日本国に代(よ)始まりてより已に謀叛の者・二十六人、第一は大山の王子・第二は大石の山丸・乃至第二十五人は頼朝・第二十六人は義時なり。二十四人は朝に責められ奉り、獄門に首を懸けられ山野に骸(かばね)を曝す。二人は王位を傾むけ奉り・国中を手に拳(にぎ)る。王法・既に尽きぬ。 此等の人人も日蓮が万人に悪まるるに過ぎず。其の由を尋ぬれば法華経には「最第一」の文あり。然るを弘法大師は法華最第三・慈覚大師は法華最第二・智証大師は慈覚の如し。今叡山・東寺・園城寺の諸僧、法華経に向かいては法華最第一と読めども其の義をば第二・第三と読むなり。公家と武家とは子細は知ろしめさねども御帰依の高僧等・皆此の義なれば師檀一同の義なり。其の外禅宗は教外別伝と云云、法華経を蔑如(べつじょ)する言なり。念仏宗は「千中無一・未有一人得者」と申す心は法華経を念仏に対して挙げて失ふ義なり。律宗は小乗なり。正法の時すら仏・免(ゆる)し給う事なし。況んや末法に是を行じて国主を誑惑し奉るをや。妲己(だっき)・妹喜(まっき)・褒似(ほうじ)の三女が三王を誑(たぼ)らかして代を失いしが如し。 かかる悪法・国に流布して法華経を失う故に・安徳・尊成(たかなり)等の大王、天照太神・正八幡に捨てられ給いて或は海に沈み、或は島に放たれ給い、相伝の所従等に傾けられ給いしは天に捨てられさせ給う故ぞかし。法華経の御敵を御帰依有りしかども是を知る人なければ其の失を知る事もなし。「知人は起を知り、蛇は自ら蛇を識る」とは是なり。日蓮は智人に非ざれども蛇は竜の心を知り、烏(からす)の世の吉凶を計るが如し。此の事計りを勘へ得て候なり。此の事を申すならば須臾に失に当るべし。申さずば又大阿鼻地獄に堕つべし。 法華経を習うには三の義あり。一には謗人。勝意比丘・苦岸比丘・無垢論師・大慢婆羅門等が如し。彼等は三衣(さんね)を身に纒(まと)い、一鉢を眼に当てて二百五十戒を堅く持ちて而も大乗の讎敵(しゅうてき)と成りて無間大城に堕ちにき。今日本国の弘法・慈覚・智証等は、持戒は彼等が如く・智慧は又彼(かの)比丘に異ならず。但大日経真言第一・法華経第二・第三と申す事、百千に一つも日蓮が申す様ならば無間大城にやおはすらん。此の事は申すも恐れあり。増して書き付くるまでは如何と思い候へども法華経最第一と説かれて候に、是を二三等と読まん人を聞いて人を恐れ・国を恐れて申さずば即是彼怨(そくぜひおん)と申して一切衆生の大怨敵なるべき由・経と釈とにのせられて候へば申し候なり。人を恐れず世を憚(はば)からず云う事・我不愛身命・但惜(たんじゃく)無上道と申すは是なり。不軽菩薩の悪口・杖石(あっく・じょうしゃく)も他事に非ず。世間を恐れざるに非ず、唯法華経の責めの苦(ねんごろ)なればなり。例せば祐成(すけなり)・時宗が大将殿の陣の内を簡(えら)ばざりしは、敵の恋しく、恥の悲しかりし故ぞかし。此れは謗人なり。 謗家と申すは都て一期(いちご)の間法華経を謗せず、昼夜十二時に行ずれども謗家に生れぬれば必ず無間地獄に堕つ。例せば勝意比丘・苦岸比丘の家に生まれて或は弟子となり、或は檀那と成りし者共が・心ならず無間地獄に堕ちたる是なり。譬えば義盛が方の者・軍(いくさ)をせし者はさて置きぬ、腹の内に有りし子も産(うむ)を待たれず母の腹を裂かれしが如し。今日蓮が申す弘法・慈覚・智証の三大師の法華経を・正しく無明の辺域・虚妄の法と書かれて候は、若し法華経の文実(まこと)ならば叡山・東寺・園城寺・七大寺・日本・一万一千三十七所の寺寺の僧は如何が候はんずらん。先例の如くならば無間大城疑ひ無し。是れは謗家なり。 謗国と申すは謗法の者・其の国に住すれば其の一国皆無間大城になるなり。大海へは一切の水集まり、其の国は一切の禍(わざわい)集まる。譬えば山に草木の滋(しげ)きが如し。三災月月に重なり・七難日日に来る。飢渇発(けかち・おこ)れば其の国餓鬼道と変じ、疫病重なれば其の国地獄道となる、軍(いくさ)起れば其の国修羅道と変ず。父母・兄弟・姉妹をば簡(えらば)ず妻とし夫と憑(たの)めば其の国畜生道となる。死して三悪道に堕つるにはあらず、現身に其の国四悪道と変ずるなり。此れを謗国と申す。例せば大荘厳仏の末法・師子音王仏の濁世の人人の如し。又報恩経に説かれて候が如くんば、過去せる父母・兄弟姉妹・一切の人、死せるを食し・又生(いき)たるを食す。今日本国亦復是くの如し。真言師・禅宗・持斎等、人を食する者・国中に充満せり。是偏に真言の邪法より事起これり。竜象房が人を食いしは万が一つ顕れたるなり。彼に習いて人の肉を或は猪鹿(い・しか)に交へ・或は魚鳥に切り雑へ・或はたたき加へ、或はすし(鮨)として売る。食する者数を知らず、皆天に捨てられ守護の善神に放されたるが故なり。結句は此の国・他国より責められ、自国どし打ちして此の国変じて無間地獄と成るべし。 日蓮・此の大なる失(とが)を兼て見し故に、与同罪の失を脱れんが為め、仏の呵責(かしゃく)を思う故に知恩・報恩の為め・国の恩を報ぜんと思いて国主並に一切衆生に告げ知らしめしなり。 不殺生戒と申すは一切の諸戒の中の第一なり。五戒の初めにも不殺生戒、八戒・十戒・二百五十戒・五百戒・梵網の十重禁戒・華厳の十無尽戒・瓔珞経の十戒等の初めには皆不殺生戒なり。儒家の三千の禁(いましめ)の中にも大辟(たいへき)こそ第一にて候へ。其の故は「遍満三千界・無有直身命(むう・じきしんみょう)」と申して三千世界に満つる珍宝なれども命に替る事はなし。蟻子(あり)を殺す者・尚地獄に堕つ、況んや魚鳥等をや。青草を切る者・猶地獄に堕つ、況んや死骸を切る者をや。是くの如き重戒なれども法華経の敵に成れば此れを害するは第一の功徳と説き給うなり。況んや供養を展(の)ぶ可けんや。故に仙予国王は五百人の法師を殺し、覚徳比丘は無量の謗法の者を殺し、阿育大王は十万八千の外道を殺し給いき。此等の国王・比丘等は閻浮第一の賢王・持戒第一の智者なり。仙予国王は釈迦仏、覚徳比丘は迦葉仏、阿育大王は得道の仁(ひと)なり。 今日本国も又是くの如し。持戒・破戒・無戒・王臣・万民を論ぜず・一同に法華経誹謗の国なり。設い身の皮をは(剥)ぎて法華経を書き奉り、肉を積んで供養し給うとも、必ず国も滅び・身も地獄に堕ち給うべき大なる科あり。唯真言宗・念仏宗・禅宗・持斎等を禁(いまし)めて身を法華経によせよ。天台の六十巻を空(そら)に浮べて・国主等には智人と思われたる人人の・或は智の及ばざるか、或は知れども世を恐るるかの故に・或は真言宗をほめ・或は念仏・禅・律等に同ずれば、彼等が大科には百千超えて候。例せば成良(しげよし)・義村等が如し。慈恩大師は玄賛十巻を造りて法華経を讃めて地獄に堕つ。此の人は太宗皇帝の御師・玄奘三蔵の上足・十一面観音の後身と申すぞかし。音(こえ)は法華経に似たれども心は爾前の経に同ずる故なり。嘉祥(かじょう)大師は法華玄十巻を造りて既に無間地獄に堕つべかりしが、法華経を読む事を打ち捨てて天台大師に仕えしかば地獄の苦を脱れ給いき。 今法華宗の人人も又是くの如し。比叡山は法華経の御住所・日本国は一乗の御所領なり。而るを慈覚大師は法華経の座主を奪い取りて真言の座主となし、三千の大衆も又其の所従と成りぬ。弘法大師は法華宗の檀那にて御坐(おわし)ます嵯峨の天皇を奪い取りて・内裏(だいり)を真言宗の寺と成せり。安徳天皇は明雲座主を師として頼朝の朝臣(あそん)を調伏せさせ給いし程に、右大将殿に罰せらるるのみならず安徳は西海に沈み・明雲は義仲に殺され給いき。尊成(たかなり)王は天台座主・慈円僧正・東寺・御室並びに四十一人の高僧等を請下し奉り、内裏(だいり)に大壇を立てて義時右京の権(ごん)の大夫殿を調伏せし程に、七日と申せし六月十四日に洛陽破れて王は隠岐の国・或は佐渡の島に遷(うつ)され、座主・御室は或は責められ・或は思い死(じに)に死に給いき。世間の人人・此の根源を知る事なし。此れ偏に法華経・大日経の勝劣に迷える故なり。今も又日本国・大蒙古国の責めを得て彼の不吉の法を以て御調伏を行わると承わる。又日記分明(ふんみょう)なり。此の事を知らん人・争でか歎かざるべき。 悲いかな我等誹謗正法の国に生れて大苦に値はん事よ。設い謗身は脱ると云うとも謗家謗国の失・如何せん。謗家の失を脱れんと思はば父母・兄弟等に此の事を語り申せ。或は悪まるるか・或は信ぜさせまいらするか。謗国の失を脱れんと思はば国主を諌暁し奉りて死罪か流罪かに行(おこな)わるべきなり。我不愛身命・但惜無上道と説かれ、身軽法重・死身弘法と釈せられし是なり。過去遠遠劫より今に仏に成らざりける事は加様の事に恐れて云い出さざりける故なり。未来も亦復是くの如くなるべし。今日蓮が身に当りてつみ知られて候。設い此の事を知る弟子等の中にも当世の責(せめ)のおそろしさと申し、露の身の消え難きに依りて・或は落ち、或は心計りは信じ、或はとかうす。御経の文に難信難解と説かれて候が身に当つて貴く覚え候ぞ。謗ずる人は大地微塵の如し、信ずる人は爪上(そうじょう)の土の如し。謗ずる人は大海・進む人は一てい(渧)なり。 天台山に竜門と申す所あり、其の滝百丈なり。春の始めに魚集りて此の滝へ登るに百千に一つも登る魚は竜と成る。此の滝の早き事・矢にも過ぎ・電光にも過ぎたり。登りがたき上に春の始めに此の滝に漁父集まりて魚を取る。網を懸くる事・百千重、或は射て取り、或は酌んで取る。鷲(わし)・鵰(くまたか)・鴟(とび)・梟(ふくろう)・虎・狼・犬・狐・集まりて昼夜に取り噉(くろ)ふなり。十年・二十年に一つも竜となる魚なし。例せば凡下の者の昇殿を望み、下女が后と成らんとするが如し。 法華経を信ずる事・此(これ)にも過ぎて候と思食(おぼしめ)せ。常に仏・禁(いま)しめて言く、何なる持戒・智慧高く御坐(おわ)して一切経並びに法華経を進退せる人なりとも、法華経の敵を見て責め罵(の)り、国主にも申さず・人を恐れて黙止するならば・必ず無間大城に堕つべし。譬えば我は謀叛を発(おこ)さねども、謀叛の者を知りて国主にも申さねば・与同罪は彼の謀叛の者の如し。南岳大師の云く「法華経の讎(あだ)を見て呵責(かしゃく)せざる者は謗法の者なり。無間地獄の上に堕ちん」と。見て申さぬ大智者は無間の底に堕ちて彼の地獄の有らん限りは出(い)ずべからず。日蓮・此の禁めを恐るる故に国中を責めて候程に、一度ならず流罪・死罪に及びぬ。今は罪も消え・過(とが)も脱れなんと思いて・鎌倉を去りて此の山に入つて七年なり。 此の山の為体(ていたらく)・日本国の中には七道あり。七道の内に東海道十五箇国、其の内に甲州・飯野・御牧・波木井(はきり)の三箇郷の内・波木井と申す。此の郷の内・戌亥(いぬい・北西)の方に入りて二十余里の深山あり。北は身延山・南は鷹取山・西は七面山・東は天子山なり。板を四枚つい立てたるが如し。此の外を回りて四つの河あり。北より南へ富士河・西より東へ早河、此れは後なり。前に西より東へ波木井河の内に一つの滝あり・身延河と名けたり。中天竺の鷲峰(じゅほう)山を此の処へ移せるか、将又(はたまた)漢土の天台山の来たれるかと覚ゆ。此の四山・四河の中に手の広さ程の平かなる処あり。爰に庵室を結んで天雨を脱れ、木の皮をはぎて四壁とし、自死の鹿の皮を衣(ころも)とし、春は蕨(わらび)を折りて身を養ひ、秋は果(このみ)を拾いて命を支へ候つる程に、去年(こぞ)十一月より雪降り積もり改年の正月・今に絶る事なし。 庵室は七尺・雪は一丈・四壁は冰を壁とし、軒のつららは道場荘厳の瓔珞(ようらく)の玉に似たり。内には雪を米と積む。本より人も来たらぬ上、雪深くして道塞がり・問う人もなき処なれば現在に八寒地獄の業を身につぐ(償)のへり。生きながら仏には成らずして又寒苦鳥と申す鳥にも相似たり。頭は剃る事なければうづら(鶉)の如し、衣は冰にとぢられて鴦鴛(おし)の羽を冰の結べるが如し。かかる処へは古(いにし)へ眤(むつ)びし人も問わず。弟子等にも捨てられて候いつるに、此の御器を給いて雪を盛りて飯と観じ、水を飲んでこんず(漿)と思う。志のゆく所・思い遣らせ給へ。又又申すべく候、恐恐謹言。 弘安三年正月二十七日 日 蓮 花押 秋元太郎兵衛殿御返事
by johsei1129
| 2019-11-23 19:41
| 弟子・信徒その他への消息
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