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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 09月 05日

観心本尊抄文段 下一四


一 過去大通仏の法華経より等

往古(おうこ)の諸師同に(ただ)ちに大通仏の所説の法華経に約す。此の義、恐らくは是れ(おだ)やかならず。今(いわ)く、(ただ)是れ大通十六王子の覆講(ふっこう)の法華経なり。(しか)して文には略して「大通仏の法華経」と云う。例せば常に「大通下種」と云うが如し。此れは是れ迹門(じょう)()の所談なり。何ぞ(あえ)て寿量品の有無を論ずべけんや。()し大通所説の法華経は十方三世の諸仏の微塵(みじん)経々(きょうぎょう)の中にもあるべし。何ぞ別して之を()げんや。

(まさ)に知るべし、今序分の大旨は迹門所談の()(どう)始終(しじゅう)の経々を以て、通じて文底下種の序分に属するなり。(いわ)く、大通十六王子の覆講の法華経は結縁(けちえん)の始めの経なり。現在の華厳(けごん)等は毒発(どくはつ)等の(とく)(だつ)の終り、当機(とうき)(しゅ)熟益(じゅくやく)の経々なり。迹門十四品は当機衆の得脱の終り、結縁衆の発心の始めの経なり。涅槃(ねはん)経等は即ち結縁衆の得脱の終りの経々なり。十方三世の諸仏も(また)(また)()くの如く、彼の諸仏の迹門に所談の化導の始終の微塵(みじん)の経々を以て、同じく文底下種の序分に属するなり。「是れ我が方便、諸仏も(また)(しか)なり」とは是れなり。

問う、彼の諸仏の微塵の経々は(まさ)是れ彼の文底の序分なるべし。何ぞ此の文底の序分と成らんや。

答う、()し文底の意は東方の善徳仏、中央の大日如来、十方の諸仏、三世の諸仏、皆是れ()(おん)元初(がんじょ)自受(じじゅ)(ゆう)(しん)垂迹(すいじゃく)なり。天台(てんだい)所謂(いわゆる)月万影」は是れなり。故に彼の十方三世の微塵の経々は、(みな)此の文底下種の序分と()るなり。(げん)の第七に「三世(すなわ)(こと)なれども毘盧(びる)遮那(しゃな)の一本は(ことな)らず。百千枝葉(しよう)同じく根に(おもむ)くが如し」等云云。(まさ)に知るべし、今「毘慮遮那」とは、(すなわ)是れ久遠元初の自受用身なり云云。

文に云く「皆寿量の序分なり」とは、

問う、今の文勢に准ずるに、(まさ)に「皆一品(いっぽん)二半の序分なり」と云うべし。何ぞ(ただ)「皆寿量の序分」と云うや。

答う、「一品二半」を(また)「寿量品」と名づくるなり。()此の義を知らんと欲せば、()(すべから)く正宗二半の名同(みょうどう)()()を了すべし。(いわ)く、品二半の名は同じと(いえど)も、(しか)其の義に於て多くの不同あり。

一には(はい)(りゅう)の不同。

初めに天台(てんだい)の配立は、涌出(ゆじゅつ)品の(りゃっ)(かい)(ごん)(けん)(のん)動執(どうしゅう)生疑(しょうぎ)の半品、寿量品、分別功徳品の半品、是れ品二半と()すなり。次に(れん)()の配立は、前の涌出品の略開近顕遠の三十余行の段の経文を除いて、(ただ)動執生疑の半品、寿量品、分別功徳品の半品を取って、()品二半と名づくるなり。

二には種脱の不同。

謂く、天台の配立は在世脱益(だっちゃく)(ため)なり。(けだ)し蓮祖の配立は末法下種の為なり。

三には異名の不同。

謂く、天台の配立をば「(りゃっ)(こう)(かい)(けん)品二半」と名づく。蓮祖の配立をば「(こう)(かい)(ごん)(けん)(のん)品二半」と名づけ、「広開近顕遠の寿量品」と名づくるなり。(また)天台の配立をば「在世の本門」と名づく。蓮祖の配立をば「末法の本門」と名づけ、(また)「我が内証の寿量品」と名づけ、「文底下種の本因(ほんにん)(みょう)」と名づくるなり。(まさ)に知るべし、蓮祖配立の末法の本門・広開近顕遠の一品二半をば、(すで)に「広開近顕遠の寿量品」と名づけ、(また)「我が内証の寿量品」と名づく、故に今(ただ)「皆寿量」等と云うなり。

問う、其の証如何(いかん)

答う、天台の配立は常の如く知るべし。

(れん)()の配立は取要抄に云く「本門に於て(また)二の心有り。一には涌出品の略開近顕遠は(ぜん)四味(しみ)びに迹門の諸衆をして脱せしめんが(ため)なり、二には涌出品の動執生疑より一半並びに寿量品・分別(ふんべつ)功徳(くどく)(ほん)の半品已上(いじょう)品二半を広開近顕遠と名づく。一向に滅後の為なり乃至(ないし)問うて曰く、誰人の為に広開近顕遠の寿量品を演説するや、答えて(いわ)乃至末法今時の日蓮等が為なり」。

下の文に云く「在世の本門と末法の(はじめ)同に(じゅん)(えん)なり」と云云。

又云く所詮(しょせん)迹化・他方の大菩藩等に我が内証の寿量品を以て授与(じゅよ)すべからず」等云云。

血脈抄に云く「我等が内証の寿量品とは(だっ)(ちゃく)寿量の文底の本因(ほんにん)(みょう)の事なり」等云云。此等の文分明(ふんみょう)なり。

(まさ)に知るべし、天台(はい)(りゅう)(りゃっ)(こう)(かい)(けん)品二半は、即ち是れ第四の三段、本門脱益(だっちゃく)の正宗なり。若し蓮祖(れんそ)配立の(こう)(かい)(ごん)(けん)(のん)の寿量の品二半は、即ち是れ第五の三段、文底下種の正宗(しょうしゅう)なり。

問う、蓮祖何ぞ天台に()して略開の段を(のぞ)き、(ただ)動執(どうしゅう)生疑(しょうぎ)の半品を取るや。

答う、是れに深意(じんい)あり。(いわ)く、寿量品に両辺あり。文上は在世(ざいせ)脱益(だっちゃく)(ため)、文底は末法下種の為なり。然るに蓮祖、弥勒(みろく)疑請(ぎしょう)の文の意に准じて、文上の辺を退(しりぞ)けて以て涌出(ゆじゅつ)品の(りゃっ)(かい)(ごん)(けん)(のん)に属し、即ち在世脱益の為とするなり。(すで)に文上の辺を退けて略開に属し、在世脱益の為とす。故に寿量品は一向に滅後末法の為と()るなり。是れ(すなわ)ち弥勒の疑請の文意に()る。故に天台・蓮祖(おのおの)義に()るなり。

問う、(にち)(じゅう)門流が品二半の南無妙法蓮華経と(すす)むるは、是れ(いず)れの品二半と()んや。

答う、彼の門流、(いま)(かつ)て文底の大事を知らず、故に(ただ)第四の三段、在世の本門(りゃっ4)(こう)(かい)(けん)の脱益の品二半なるのみ。


つづく



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by johsei1129 | 2015-09-05 20:25 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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