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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 09月 03日

大聖人の草庵があった身延の沢の様子と暮らし向きを詳細に記した消息文【松野殿女房御返事 】

【松野殿女房御返事】
■出筆時期:弘安二年(1279年)六月二十日 五十八歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は駿州松野に住まわれていた松野入道の妻に与えられた消息です。尚、娘は南条家に嫁ぎ時光を生んでおります。両家は住まいも近く、普段から法華経信仰の上でも交流が深かったと思われます。
本抄は松野殿の女房から種々のご供養を送られたことへの返書となっており、「女人の御身としてかかる濁世末代に法華経を供養しましませば<中略>釈迦仏は霊山より御手をのべて御頂をなでさせ給うらん」とその志を讃えられておられます。

また前段では、身延山中に設けた草庵での大聖人の暮らし向き、また周辺の詳細な状況を記されておられます。この事は、一往は当時の信徒に身延の状況を伝える趣旨ではありますが、再往は、大聖人滅度後の将来の弟子・信徒が、末法の本仏を渇仰する気持に応えるため、実際の暮らしぶりを詳細に記しておいた大聖人の慈悲であると拝します。
■ご真筆筆:福井県本勝寺(13文字の断簡)所蔵。
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[真筆本文箇所:あらず、天台大師にてはなけれ]
[松野殿女房御返事 本文]
麦一箱・いゑのいも一篭・うり(瓜)一篭・旁(かたがた)の物、六月三日に給(たび)候しを今まで御返事申し候はざりし事恐れ入つて候。

此の身延の沢と申す処は甲斐の国の飯井野・御牧・波木井の三箇郷の内・波木井の郷の戌亥(いぬい)の隅にあたりて候。北には身延の嶽・天をいただき南には鷹取が嶽・雲につづき東には天子の嶽日とたけをなじ、西には又峨峨として大山つづきて・しらねの嶽にわたれり、猿のなく音(こえ)天に響き蝉のさゑづり地にみてり、天竺の霊山此の処に来れり唐土の天台山親(まのあた)りここに見る。

我が身は釈迦仏にあらず天台大師にてはなけれども、まかる・まかる昼夜に法華経をよみ朝暮に摩訶止観を談ずれば霊山浄土にも相似たり・天台山にも異ならず。

但し有待(うだい)の依身(えしん)なれば著ざれば風・身にしみ・食ざれば命持ちがたし。灯に油をつがず火に薪を加へざるが如し、命いかでかつぐべきやらん。命続がたく・つぐべき力絶えては、或は一日乃至・五日既に法華経読誦の音も絶えぬべし、止観のまどの前には草しげりなん。

かくの如く候にいかにして思い寄らせ給いぬらん、兎は経行の者を供養せしかば天帝哀みをなして月の中にをかせ給いぬ。

今天を仰ぎ見るに月の中に兎あり。
されば女人の御身としてかかる濁世末代に法華経を供養しましませば、梵王も天眼を以て御覧じ帝釈は掌を合わせてをがませ給ひ、地神は御足をいただきて喜び釈迦仏は霊山より御手をのべて御頂をなでさせ給うらん。 南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経、恐恐謹言。

弘安二年己卯六月二十日                   日 蓮花押
 松野殿女房御返事

by johsei1129 | 2015-09-03 22:10 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
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