日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 08月 30日

総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、と説いた【四菩薩造立抄】

【四菩薩造立抄】
■出筆時期:弘安二年(1279年)五月十七日 五十八歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は富木常忍から「本門久成の教主釈尊を造り奉り、脇士には久成地涌の四菩薩を造立し奉るべしと兼て聴聞仕り候いき、然れば聴聞の如くんば何の時かと」問われたことへの返書となっております。勿論これは、中央に南妙法蓮華をしたため、その脇士に釈迦牟尼仏、多宝如来の二仏、並びに上行、無辺行、浄行、安立行の地涌の四菩薩を配した大御本尊になります。この事については大聖人は佐渡流罪中に「観心本尊抄」 で「此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し」と説き明かし、富木常忍に宛てて弟子・信徒に送られておられます。

富木常忍は恐らく当時の本尊に対する一般的な考えで、大聖人が釈迦の立像を造立されるのではと思われていたようです。富木常忍は下総国の守護千葉氏の文官として、自ら開基した中山法華経寺に大聖人のご真筆を数多く残された功績は大きなものがありますが、大聖人の法門への深い理解までは到達していなかったように思われます。

また本抄後段では「御状に云く、大田方の人人一向に迹門に得道あるべからずと申され候由、其の聞え候と、是は以ての外の謬なり」と断じ、大聖人が法華経を本門と迹門に分別して説かれたことを誤解し、迹門つまり方便品を読誦しても得道がないと申していることを咎め「総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」と厳しく指導されておられます。

尚、本抄冒頭で富木常忍が「薄墨染衣一・同色の袈裟一帖」をご供養されたことが記されておられますが、この当時大聖人が、普段から薄墨の染め色の衣・袈裟を身につけていたことが分かります。この事は日興上人の残された[日興遺誡置文] にも「一、衣の墨・黒くすべからざる事。一、直綴を着す可からざる事」と記されていることでも分かります。この薄墨の法衣・袈裟を身につける意味は、釈尊及び当時の弟子達が出家するとき、世俗の垢を払いのけるがごとく王侯貴族としての華美な服装を脱ぎ捨て、糞掃衣(ふんぞうえ)[ボロ布を洗ってつづり合わせて作った衣]をまとった事と相通じるものがあります。
■ご真筆:現存しておりません。

[四菩薩造立抄 本文]

白小袖一・薄墨染衣一・同色の袈裟一帖・鵞目一貫文給び候、今に始めざる御志言を以て宣べがたし何れの日を期してか対面を遂げ心中の朦朧を申し披や。

一御状に云く本門久成の教主釈尊を造り奉り脇士には久成地涌の四菩薩を造立し奉るべしと兼て聴聞仕りいき、然れば聴聞の如くんば何の時かと云云、夫れ仏・世を去らせ給いて二千余年に成りぬ、其の間・月氏・漢土・日本国・一閻浮提の内に仏法の流布する事・僧は稲麻のごとく法は竹葦の如し、然るに・いまだ本門の教主釈尊並に本化の菩薩を造り奉りたる寺は一処も無し三朝の間に未だ聞かず、日本国に数万の寺寺を建立せし人人も本門の教主・脇士を造るべき事を知らず上宮太子・仏法最初の寺と号して四天王寺を造立せしかども阿弥陀仏を本尊として脇士には観音等・四天王を造り副えたり、伝教大師・延暦寺を立て給うに中堂には東方の鵞王の相貌を造りて本尊として久成の教主・脇士をば建立し給はず、南京七大寺の中にも此の事を未だ聞かず田舎の寺寺以て爾なり、かたがた不審なりし間・法華経の文を拝見し奉りしかば其の旨顕然なり、末法・闘諍堅固の時にいたらずんば造るべからざる旨分明なり、正像に出世せし論師・人師の造らざりしは仏の禁を重んずる故なり、若し正法・像法の中に久成の教主釈尊・並びに脇士を造るならば夜中に日輪出で日中に月輪の出でたるが如くなるべし、末法に入つて始めの五百年に上行菩薩の出でさせ給いて造り給うべき故に正法・像法の四依の論師・人師は言にも出させ給はず、竜樹・天親こそ知らせ給いたりしかども口より外へ出させ給はず、天台智者大師も知らせ給いたりしかども迹化の菩薩の一分なれば一端は仰せ出させ給いたりしかども其の実義をば宣べ出させ給はず、但ねざめの枕に時鳥の一音を聞きしが如くにして夢のさめて止ぬるやうに弘め給い候ぬ、夫れより已外の人師はまして一言をも仰せ出し給う事なし、此等の論師・人師は霊山にして迹化の衆は末法に入らざらんに正像二千年の論師・人師は本門久成の教主釈尊並に久成の脇士・地涌上行等の四菩薩を影ほども申出すべからずと御禁ありし故ぞかし。

今末法に入れば尤も仏の金言の如くんば造るべき時なれば本仏・本脇士造り奉るべき時なり、当時は其の時に相当れば地涌の菩薩やがて出でさせ給はんずらん、先ず其れ程に四菩薩を建立し奉るべし尤も今は然るべき時なりと云云、されば天台大師は後の五百歳遠く妙道に沾わんとしたひ、伝教大師は正像稍過ぎ已て末法太だ近きに有り法華一乗の機今正に是れ其の時なりと恋いさせ給う。

日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども仏法を以て論ずれば一閻浮提第一の富る者なり、是れ時の然らしむる故なりと思へば喜び身にあまり感涙押へ難く教主釈尊の御恩報じ奉り難し、恐らくは付法蔵の人人も日蓮には果報は劣らせ給いたり天台智者大師・伝教大師等も及び給うべからず最も四菩薩を建立すべき時なり云云、問うて云く四菩薩を造立すべき証文之れ有りや、答えて云く涌出品に云く「四の導師有り一をば上行と名け二をば無辺行と名け三をば浄行と名け四をば安立行と名く」等云云、問うて云く後五百歳に限るといへる経文之れ有りや、答えて云く薬王品に云く「我が滅度の後後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」等云云。

一御状に云く大田方の人人一向に迹門に得道あるべからずと申され候由・其の聞え候と是は以ての外の謬なり、御得意候へ本・迹二門の浅深・勝劣・与奪・傍正は時と機とに依るべし、一代聖教を弘むべき時に三あり機もつて爾なり、仏滅後・正法の始の五百年は一向小乗・後の五百年は権大乗・像法一千年は法華経の迹門等なり、末法の始には一向に本門なり一向に本門の時なればとて迹門を捨つべきにあらず、法華経一部に於て前の十四品を捨つべき経文之れ無し本迹の所判は一代聖教を三重に配当する時・爾前・迹門は正法・像法或は末法は本門の弘まらせ給うべき時なり。

今の時は正には本門・傍には迹門なり、迹門無得道と云つて迹門を捨てて一向本門に心を入れさせ給う人人はいまだ日蓮が本意の法門を習はせ給はざるにこそ以ての外の僻見なり、私ならざる法門を僻案せん人は偏に天魔波旬の其の身に入り替りて人をして自身ともに無間大城に堕つべきにて候つたなしつたなし、此の法門は年来貴辺に申し含めたる様に人人にも披露あるべき者なり、総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、さだにも候はば釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし、其れさへ尚人人の御心中は量りがたし。

一日行房死去の事不便に候、是にて法華経の文読み進らせて南無妙法蓮華経と唱へ進らせ願くは日行を釈
迦・多宝・十方の諸仏・霊山へ迎へ取らせ給へと申し上げ候いぬ、身の所労いまだきらきらしからず候間省略せしめ候、又又申す可く候、恐恐謹言。

弘安二年五月十七日               日 蓮 花押
富木殿御返事





by johsei1129 | 2015-08-30 21:42 | 富木常忍・尼御前 | Comments(0)


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