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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 08月 30日

開目抄愚記 下二六


一 
涅槃(ねはん)経四十巻の現証は此の品にあり

  問う、常には涅槃経に闡提(せんだい)を治すという。何ぞ此の(ほん)を以て現証とせんや。

  答う、涅槃経の中には(ただ)闡提成仏の道理のみを明かして、闡提成仏の現証を明かさず。(いわ)く、()の経の始終(しじゅう)に闡提の得記(とっき)作仏(さぶつ)の相無く、五十二類の中にも之を列せず。(あまつさ)え第九巻には「(ただ)(いき)(めくら)一闡提(いっせんだい)を除く」と説き、(かえ)って治すべからずと云う。(しか)るに常には涅槃経に闡提を治すと云うことは、是れ「一切の衆生(ことごと)く仏性あり」と説いて仏性の(へん)ずるを明かすが故なり。座に()って経を聞くの(とく)(やく)()うには(あら)ず。(げん)九・五十五、玄私九・五十二、()いて見よ。

一 五逆・七逆・謗法(ほうぼう)・闡提等

  会疏(えしょ)十・四十云云。又「一切」の句頭に「然れば則ち」の意を入れて見るべし。次上を釈成(しゃくじょう)する文なり。

一 毒薬変じて甘露(かんろ)()る等

  涅槃経北本の第八初に云く「善男子、方等経は(なお)甘露の如く、(また)毒薬の如し」と云云。之を信ずれば則ち甘露と()り、之を(そし)れば則ち毒薬と成るが故なり。是れは今文の意に非ず。当文の意は、即ち大論の「()く毒を変じて薬と()す」の文に()なり。御書三十八・二十八云云。

一 或は改転(かいてん)の成仏にして

  問う、改転の意、如何(いかん)

  答う、諸大乗の意は、(さら)に女身を改め、男子と転じて成仏すべきの故に「改転の成仏」というなり。悪人作仏(さぶつ)、畜類の成仏も(これ)に准じて知るべし。東陽(ちゅう)(じん)口伝(くでん)に云く「他経に悪人等に記するは、即ち善人に記すると(これ)を習うなり。其の故は悪人、悪念を(ひるがえ)して善人と()り、仏に成るべきが故なり」と云云。御書三十八・二十七に云く「東陽の忠尋と申す人こそ此の法門はすこ()しあやぶまれて候」等云云。

一 一念三千の成仏にあらざれば有名(うみょう)無実(むじつ)の成仏往生(おうじょう)なり

  東陽の口伝に云く「()(ぜん)は一人出過(しゅつか)の成仏、法華は十界一念の成仏なり。十界一念と開きたる時、十界同時に成仏するなり。故に妙楽(みょうらく)云く『(まさ)に知るべし、身土乃至(ないし)一身一念法界に(あまね)し』と」等云々。

  大意抄十三・二十一に云く「法華経()(ぜん)の諸経は十界()()を明かさざれば仏に成らんと願うには必ず九界を(いと)う。妙楽大師は厭離(おんり)(だん)()の仏と名づく。されば法華経()(ぜん)には実の凡夫(ぼんぷ)が仏に成りたりける事は無きなり。九界を離れたる仏無き故に、往生(おうじょう)したる実の凡夫も無し。人界(にんかい)を離れたる菩薩界も無きが故に」(取意)と。

私に云く、(たと)えば手中の物を忘れて外を(たず)ぬれば、則ち(たと)い百千(こう)()ると(いえど)も、之を得ること(あた)わざるが如し。又猿を離れて生肝(いきぎも)無きが如し。(あに)有名(うみょう)無実(むじつ)の成仏往生」に(あら)ずや。

一 儒家(じゅけ)(きょう)養等

  「(きょう)」の字は啓蒙(けいもう)の義、可なり。科段は之を略す。


                     つづく
開目抄愚記下 目次



by johsei1129 | 2015-08-30 14:25 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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