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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 08月 26日

開目抄愚記 下二五 悪に対して善顕われ已(おわ)んぬれば、悪の全体即ち是れ善なり。故に善悪不二(ふに)と云う。


  第三十七段 二箇の
(かん)(ぎょう)を引き一代成仏・不成仏を判ず

一 宝塔(ほうとう)品の三箇の(ごう)(ちょく)の上等

  此の下は次に二箇の(かん)(ぎょう)を引いて一代の成仏・不成仏を判ず、亦三あり。初めに(ひょう)、次に「提婆」の下は(しゃく)、三に終りの一句は結文なり。釈の中に(また)二あり。初めに経意を釈し、次に「儒家」の下は成・不成を判じて孝・不孝を示す。初めの(きょう)()を釈するにも、亦二あり。初めに悪人作仏、次に女人(にょにん)成仏。経意を釈すとは(おのおの)一を挙げて(もろもろ)に例す故なり。即ち是れ経意なり。

一 提婆(だいば)(だっ)()一闡提(いっせんだい)

  問う、達多は是れ逆罪の人なり。何ぞ一闡提と云うや。

  答う、提婆は是れ一代(ほう)(ぼう)の人にして一切の諸善を断ず。故に(また)一闡提と名づくるなり。涅槃(ねはん)(しょ)に云く「若し説法を為すとも更に誹謗(ひぼう)闡提(せんだい)の罪を起す、(ぜん)(しょう)調達(ちょうだつ)等の如きなり」と云云。

一 天王(てんのう)如来(にょらい)と記せられる

  浄名(じょうみょう)疏の九・六に云く「(また)悪に非ざれば以て善を顕すこと無し。()の故に調達(ちょうだつ)無数劫(むしゅこう)より(このかた)常に釈迦と共に菩薩道を行ず。(ひとたび)は仏道を行じ(ひとたび)は非道を行じ、更に(あい)啓発して法華に明かす所の如し」等云云。悪に対して善(あらわ)(おわ)んぬれば、悪の全体即ち是れ善なり。故に善悪(ぜんなく)不二(ふに)と云う。(じゃ)(しょう)一如(いちにょ)(ぎゃく)(そく)()(じゅん)も之に准じて知るべし。

此の事、爾前に(いま)だ之を説かず、故に()二の末三十四に云く「法華には(また)『調達に由って相好(そうごう)()(そく)す』と云い、余の一切経には(ただ)生々(しょうじょう)悪を()す』と云うは、(すなわ)教化(きょうけ)(ごん)(じつ)不同なればなり」と文。記の三下三十五、亦三十四。

佐渡抄五に云く「日蓮が仏にならん第一のかた()うど()(かげ)(のぶ)、法師には(りょう)(かん)道隆(どうりゅう)・道阿弥陀仏と(へいの)左衛(さえ)門尉(もんのじょう)(こう)殿(どの)ましまさずんば(いかで)か法華経の行者(ぎょうじゃ)とはなるべき」と云云。即ち此の意なり。

問う、提婆は無間(むけん)に在って記別を受くるや、今経の座に来って記別を受くるや。

答う、(こと)定判し難し。啓蒙(けいもう)中に四釈に准ずる義あり。()いて見よ云云。

題目抄に云く「提婆達多は(乃至)()()無信(むしん)の者、今に阿鼻(あび)大城に()りと聞く」等云云。()し此の文に()れば、今経の座に無きなり。

()()呵責謗法滅罪抄外の十六・二十四に云く「提婆達多は仏の御敵・四十余年の経経にて捨てられ、臨終(りんじゅう)()くして大地破れて無間地獄に行きしかども法華経にて()(かえ)されて天王如来と記せらる」等云云。房州(ぼうしゅう)(にち)()が提婆品下、私に云く「彼の調達が阿鼻の淵底(えんでい)より召し(いだ)されしは、(ひとえ)に末代の手本なり」と云云。此等の意に准ずれば、提婆は座に()りと見えたり。

  今(しばら)く一意を以て之を()()す。()外用(げゆう)の達多の辺に()れば、(なお)無間に在り。若し内証の法身の菩薩の辺に拠れば、何ぞ此の座に(きた)るを(さまた)ぐべけんや。更に(かんが)えよ。


           つづく
開目抄愚記下 目次



by johsei1129 | 2015-08-26 22:46 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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