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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 11月 08日

南無妙法蓮華経と唱うる計りにて仏になるべしや、と説かれた【六難九易抄】

【六難九易抄((妙法尼御前御返事)】
■出筆時期:弘安元(1278)七月三日  五十七歳 御作
■出筆場所:鎌倉 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄の対告衆は、ご真筆が残されていなため確定ではありませんが、古来より駿河国岡宮に住んでいた妙法尼と言われております。妙法尼はおそらく夫の頼みだと思われますが、法華経について大聖人に質問され、本抄はその問への返書となっております。

大聖人は冒頭で「先法華経につけて御不審をたてて其趣を御尋ね候事ありがたき大善根にて候<中略>末法のけふこのごろ法華経の一句一偈のいはれをも尋ね問う人はありがたし<中略>爰に知んぬ若し御持ちあらば即身成仏の人なるべし」と記すとともに、「今此の御不審は法華経宝塔品の六難九易の六の難き事の内なり」と、妙法尼を称えられておられます。
さらに妙法尼の質問の趣旨について「南無妙法蓮華経と唱うる計りにて仏になるべしやと、此の御不審所詮に候」と記し、「一切の事につけて所詮・肝要と申す事あり。法華経一部の肝心は南無妙法蓮華経の題目にて候、朝夕御唱え候はば正く法華経一部を真読にあそばすにて候」と「法華経の肝心の南無妙法蓮華経の題目を唱ることが肝要である」と諭されておられます。

末尾に「委くは見参に入り候て申すべく候と申させ給へ」と記されておられますので、法門の詳しいことは見参された時に申しますので、そのように伝えてください」と、尼御前の夫に見参を促されておられます。
尚、本書を送られた二年後に、妙法尼が夫が臨終の際「妙法蓮華経を昼夜唱え、臨終間際には二声大きな声で唱え、生前より色も白く、形も損なわなかった」と大聖人に知らせた手紙への大聖人り返書 [妙法尼御前御返事]が残されております。
■ご真筆:現存しておりません。

[六難九易抄(妙法尼御前御返事) 本文]

先(まず)法華経につけて御不審をたてて其趣を御尋ね候事ありがたき大善根にて候、須弥山を他方の世界へつぶてにな(擲)ぐる人よりも・三千大千世界をまりの如くにけあ(蹴上)ぐる人よりも無量の余の経典を受け持ちて人に説ききかせ聴聞の道俗に六神通をえせしめんよりも、末法のけふこのごろ(今日・比頃)法華経の一句一偈のいはれをも尋ね問う人はありがたし、此の趣を釈し給いて人の御不審をはらさすべき僧もありがたかるべしと、法華経の四の巻・宝塔品と申す処に六難九易と申して大事の法門候、今此の御不審は六(むつ)の難き事の内なり、爰に知んぬ若し御持ちあらば即身成仏の人なるべし、此の法華経には我等が身をば法身如来・我等が心をば報身如来・我等がふるまひをば応身如来と説かれて候へば、此の経の一句一偈を持ち信ずる人は皆此の功徳をそなへ候。

南無妙法蓮華経と申すは是れ一句一偈にて候、然れども同じ一句の中にも肝心にて候、南無妙法蓮華経と唱うる計りにて仏になるべしやと、此の御不審所詮に候・一部の肝要八軸の骨髄にて候。

人の身の五尺・六尺のたましひ(神)も一尺の面(かお)にあらはれ・一尺のかほ(顏)のたましひも一寸の眼の内におさまり候、又日本と申す二(ふたつ)の文字に六十六箇国の人畜・田畠・上下・貴賤・七珍万宝・一(ひとつ)もかくる事候はず収めて候、其のごとく南無妙法蓮華経の題目の内には一部八巻・二十八品・六万九千三百八十四の文字・一字ももれず・かけずおさめて候。

されば経には題目たり仏には眼たりと楽天ものべられて候、記の八に略して経題を挙ぐるに玄に一部を収むと妙楽も釈しおはしまし候、心は略して経の名計りを挙ぐるに一部を収むと申す文なり。一切の事につけて所詮・肝要と申す事あり。法華経一部の肝心は南無妙法蓮華経の題目にて候、朝夕御唱え候はば正(まさし)く法華経一部を真読にあそばすにて候、二返唱うるは二部乃至百返は百部・千返は千部・加様に不退に御唱え候はば不退に法華経を読む人にて候べく候、天台の六十巻と申す文には此のやうを釈せられて候、かかる持ちやすく行じやすき法にて候を末代悪世の一切衆生のために説きをかせ給いて候。

経文に云く「於末法中・於後末世法欲滅時・受持読誦・悪世末法時・能持是経者・後五百歳中広宣流布」と、此れ等の文の心は当時末法の代には法華経を持ち信ずべきよしを説かれて候、かかる明文を学しあやまりて日本・漢土・天竺の謗法の学匠達皆念仏者・真言・禅・律の小乗・権教には随い行じて法華経を捨てはて候ぬ、仏法にまど(惑)へるをば・しろ(知)しめされず、形まことしげなれば云う事も疑ひあらじと計り御信用候間、をもはざるに法華経の敵・釈迦仏の怨とならせ給いて今生には祈る所願も虚しく命もみじかく後生には無間大城をすみかとすべしと正しく経文に見えて候。

さて此の経の題目は習い読む事なくして大なる善根にて候、悪人も女人も畜生も地獄の衆生も十界ともに即身成仏と説かれて候は、水の底なる石に火のあるが如く百千万年くらき所にも燈を入れぬればあか(明)くなる、世間のあだなるものすら尚加様に不思議あり、何に況や仏法の妙なる御法(みのり)の御力をや、我等衆生悪業・煩悩・生死果縛の身が、正・了・縁の三仏性の因によりて即法・報・応の三身と顕われん事疑ひなかるべし、妙法経力即身成仏と伝教大師も釈せられて候、心は法華経の力にてはくちなは(虵)の竜女も即身成仏したりと申す事なり御疑候べからず委くは見参に入り候て申すべく候と申させ給へ。

弘安元年戊寅七月三日 日 蓮 花押
妙法尼御前御返事

by johsei1129 | 2019-11-08 22:51 | 妙法比丘尼 | Trackback | Comments(0)
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