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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 08月 22日

開目抄愚記 下二二  菩薩行方便境界神通変化経は、当山の経蔵第四十二の函(はこ)にあり


一 舌
(ただ)れども止まざるは等。(注:この文は両御書に拝せず)

  啓蒙(けいもう)に点じて云く「舌(ただ)れて()まざるは(なお)()華報(けほう)のごとし」云云。今(いわ)く、(もう)の点は(せん)の次上の「舌(ただ)れども口中(なお)志を()えざるがごとし」の文に合せず。故に板点の如く(しか)るべきなり。「不止」の字の意は、舌爛れたるに()し志を()えたらば苦流(くる)長劫(じょうごう)の果を受くべからず。然れば舌爛(ぜつらん)(ぶん)(ばか)りにては華報と云いがたきなり。故に「不止」の二字を加うる(とき)は華報の義分明(ふんみょう)なり。(いわん)(また)(せん)次上(つぎかみ)の文に「諌暁(かんぎょう)すれど止めずんば、舌(ただ)れんこと(いか)んぞ疑わん」と云云。此の「不止」の二字は正しく志を()えざる義なり。註の十三・二十二、啓蒙の四・五十一、同二十四・二十八、会疏(えしょ)五・八。

一 狐疑(こぎ)の氷()けぬ等

  「狐疑」とは末師の如し。「氷()けぬ」とは左伝の序に云わく「(かん)(ぜん)として氷の如く解け、()(ぜん)として理に(したが)う。(しか)る後、()たりと()す」と云云。

  開目抄下愚記末

一 (みつ)(ごん)経等

  此の下は三に相似(そうじ)の文を()す、亦二あり。初めに八経の文を引き、次に「此等の経文」の下は正しく会す。「密厳教」は、唐の地婆(じば)()()の訳、上中下三巻あり。此の文は上巻・二十一に()でたり。「十地(じゅうじ)華厳(けごん)」とは、華厳の十地品を十地経と名づく。故に総別を()()げて十地華厳というなり。「大樹(だいじゅ)」とは大樹(だいじゅ)緊那(きんな)()(しょ)(もん)(きょう)なり。四巻あり、羅什(らじゅう)訳なり。「神通(じんつう)」とは菩薩(ぼさつ)(ぎょう)方便(ほうべん)境界(きょうがい)神通(じんつう)変化(へんげ)(きょう)なるべし。是れ宋の求那(ぐな)跋陀(ばつだ)()の訳、和本は三巻あり、唐本は二巻あり。当山の経蔵第四十二の(はこ)にあり。

一 一切経の中に勝れたり等。

  是れ(あまね)(じん)(さい)に及ぶの「一切」に(あら)ず、(ただ)是れ少分の「一切」なり。

一 大雲経に云く

  是れ第四の巻の文なり。一乗要決下・三十八紙に「多少事理の二意を以て(みつ)(ごん)・大雲の二経の文を会せり」と。(いわ)く、彼は華厳・(しょう)(まん)等に望んで王と為す、法華の()(こん)(とう)に望むるに()かず。(また)彼は(ただ)実相に約して王と為す、法華は()ねて二乗(にじょう)作仏(さぶつ)を説く。次の如く二意に配することを知るべし。

一 諸経の中の(てん)(りん)(じょう)(おう)文。

  又是れ少分の経王なり。一切の諸経の王には(あら)ず。

一 六波羅蜜(はらみつ)経等

  第一帰依(きえ)三宝品の文なり。此の五蔵に()いて種々の異解(いげ)あり。所詮(しょせん)(さき)の三は小乗三蔵なり。第四の般若(はんにゃ)()()(みっ)()は即ち是れ通別二教なり。(ぐう)般若・不共(ふぐう)般若(はんにゃ)を通じて般若波羅密多と名づくるなり。第五の陀羅尼(だらに)(もん)とは即ち是れ()(ぜん)の円教なり。陀羅尼は(ここ)には総持と(ほん)、円教の中道は二辺の悪を(しゃ)して中道の善を(たも)つ故なり。是の故に円教は四教の中の最上なり。故に「総持門は(かい)(きょう)等の中に最も()れ第一」と云うなり。(かん)迷論(めいろん)八巻。

一 契経・調伏(じょうぶく)

  「契経・調伏・対法」は、次の如く経律論の三蔵なり。般若は(すなわ)ち第四蔵なり。

一 速疾(そくしつ)解脱(げだつ)

  是れは菩薩の人に約して説く。二乗の人には(かかわ)らざるなり。

一 譬えば(にゅう)(らく)生蘇(しょうそ)熟蘇(じゅくそ)及び妙なる醍醐(だいご)の如し等

  問う、涅槃経の五味と同異如何(いかん)

  答う、今()六波羅蜜(ろくはらみつ)経は華厳(けごん)の後、鹿(ろく)(おん)を始めと為す。故に中間(ちゅうげん)三味の(ぜん)(きょう)は正しく是れ方等部の教なり。「乳・酪・生蘇(しょうそ)」は即ち是れ三蔵教、「熟蘇(じゅくそ)」は是れ通別二教、「醍醐(だいご)」は()(ぜん)の円教なり。故に(ただ)中間(ちゅうげん)三昧(ざんまい)の中の四教に(たと)うるなり。(けだ)し涅槃経の五味は始め華厳より終り涅槃経に至るまで、総じて一代五時に(たと)うるなり。同じく五味に譬うと(いえど)も、其の義は水火なり、勝劣(しょうれつ)雲泥(うんでい)なり。故に下の文にいう「六波羅蜜経は(乃至)(なお)涅槃経の五味に()よばず、(いか)(いわん)や法華経の迹門・本門にたい()すべしや」とは是れなり。


つづく


開目抄愚記下 目次



by johsei1129 | 2015-08-22 21:14 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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