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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 08月 22日

開目抄愚記 下二一


一 
名異体(みょういたい)(どう)・二経一法等

  三論宗の意は、般若経には法華経に同じて法開会(かいえ)を明かす。故に二経一法というか。人開会を明かさざることは、(ただ)是れ人の(あやま)にして法体(ほったい)に関わらずという義勢(ぎせい)か。即ち般若経の文の次下に御所引(しょいん)の如し。()し人開会を明かさざれば有名(うみょう)無実の法開会なり。

一 善無畏(ぜんむい)

  善無畏の意は、若し理同の辺に()れば是れ六難の経なり。若し事勝の辺に拠れば大日経は六難の外にして(なお)法華に勝れたりという義勢なるべし。

一 日本の弘法(こうぼう)・読んで云く、大日経は(ろく)(なん)()()の内にあらず等云云。

  弘法の意は、釈迦の三身、大日の三身各々(おのおの)不同と定めて、法華経等は釈迦応化(おうけ)の所説にして劣れり。大日経は法身大日如来の所説にして勝れたりと云云。

  天台(てんだい)家の意は、釈迦・大日一体なり。故に授決(じゅけつ)集下・三身仏決に云く「(ただ)大日法身を見るに、即ち釈迦(しゃか)()()なり。釈迦牟尼は即ち大日法身、一切処(いっさいじょ)(あまね)くして本来常住(じょうじゅう)無始(むし)無終(むしゅう)なり、乃至(ないし)既に三身一体、(みな)等しく遮那(しゃな)と云う。何ぞ三身各別の意を用うべけんや」と已上。是れ(まさ)しく弘法の二教論を破するなり。

  亦伝教(でんぎょう)大師の(けん)戒論(かいろん)に云く「稽首(けいしゅ)す、十方(じっぽう)(じょう)寂光(じゃっこう)常住内証の三身仏、実報(じっぽう)・方便・同居土(どうこど)大悲をもって()(げん)す大日尊」文。此の文の意は、大日如来を垂迹(すいじゃく)示現の迹仏(しゃくぶつ)と為すなり。

一 日蓮なげ()いて云く等

  此の下は正しく破す、亦二あり。初めに仏祖の(おきて)を示し、次に「上にあぐるところ」の下は正しく破するなり。

一 双林(そうりん)最後の御遺言

  涅槃(ねはん)経第六、四依(しえ)品の文なり。

一 初依(しょえ)・二依等。

  玄の五に云く「五品・六根を初依と()し、十住を二依と為し、十行・(じゅう)回向(えこう)を三依と為し、十地(じゅうじ)・等覚を四依と為す」文。()(げん)文殊(もんじゅ)は第四依なり。故に「等覚の菩薩」と云うなり。

一 竜樹(りゅうじゅ)菩薩等

  十住毘婆沙論(じゅうじゅうびばしゃろん)第六巻、取意の文なり。

一 天台(てんだい)大師云く。

  (げん)(もん)第十・初。「伝教(でんぎょう)大師云く」は(しゅう)()下四。「円珍(えんちん)智証大師云く」は授決(じゅけつ)(しゅう)上四十九。

一 曲会(こくえ)私情(しじょう)

  此の言は記の九末四十五に。「荘厳(しょうごん)()()」は(せん)三に出でたり。

一 仏法外の外道(げどう)

  即ち是れ仏前の外道なり。今文の意は「仏滅後の犢子(とくし)(ほう)(こう)」は仏前の外道の(けん)よりも邪見(じゃけん)(ごう)(じょう)なり。「後漢已後(いご)の外典」は「三皇五帝の儒書(じゅしょ)」よりも邪法(たくみ)なり云云。是れ(すなわ)華厳(けごん)・真言等の人師、天台(てんだい)正義(しょうぎ)を盗み取って自宗を巧に立つるに例するなり。上巻七已下()いて見よ。「犢子」は大論一・十三、「方広」は()十・二十五に云云。

一 法華経に云く「()(こん)(とう)」等云云。

  此の下は二に正しく(しゃく)す、又二あり。初めに一家の正義を明かし、次に「今真言」の下は便(びん)(ちな)みて別して真言を破す。

  問う、何ぞ三説超過(ちょうか)の文を引いて六難九易の義を釈するや。

  答う、(もと)是れ経文の相は、三説の()(しん)()()を開いて以て九易と()し、最為(さいい)難信難解を開いて六難と為す。故に今、(かえ)って三説超過の文を引いて六難九易を(しゃく)するなり。

一 妙楽(みょうらく)云く、(とて)い経有って諸経の王と云うとも

  記の三十六。「又云く、()(こん)(とう)の妙」は(せん)三・五十三。


つづく


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by johsei1129 | 2015-08-22 20:51 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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