日蓮大聖人『御書』解説

nichirengs.exblog.jp
ブログトップ
2015年 08月 22日

観心本尊抄文段 下六  本門戒壇の本尊は応(まさ)に是れ総体の本尊なるべし。是れ則ち一閻浮提一切衆生の本尊なるが故なり。自余(じよ)の本尊は応に是れ別体の本尊なるべし。


 問う、妙法蓮華経の左右に文字に書き(あらわ)す仏菩薩等と、色相(しきそう)荘厳(しょうごん)造立(ぞうりゅう)の仏菩薩等と、何の(ことな)りありや。

答う、種本脱迹(だつしゃく)、天地雲泥(うんでい)なり。謂く、文字(もんじ)に書き顕す仏菩薩等は本地自証(じしょう)の妙法、無作(むさ)本有(ほんぬ)の体徳なり。(たと)えば種子の中に百千の枝葉を具足するが如し。若し色相荘厳の造立(ぞうりゅう)の仏菩薩等は迹中化他の形像(ぎょうぞう)なり。(たと)えば種子より生ずる所の百千枝葉の如し。(あに)(せき)()(あら)ずや。

問う、色相荘厳の仏菩薩等を以て、何ぞ必ずしも迹中()()の形像と云わんや。

答う、教時義に云く「世間(みな)仏に三十二相を()するを知る。()の世情に随って三十二相を以て仏と()す」と文。当に知るべし、劣応(れっとう)の三十二相八十(しゅ)(ごう)勝応(しょうおう)の八万四千の相好(そうごう)()受用(じゅゆう)(ほう)(しん)の十蓮華蔵微塵(みじん)の相好、及び微妙(みみょう)浄法(じょうほっ)(しん)の具相三十二、応仏昇進(しょうしん)自受(じじゅ)(ゆう)(しん)等は皆世情に順じて現ずる所の仏身なり。故に機縁に随って相好に多少あり。故に止観(しかん)第七に云く「縁の為に同じからず。多少は彼に()り」等云云。

問う、(たと)い色相荘厳と(いえど)も、若し本果の成道(じょうどう)の如きは即ち是れ本地自行の成道なり。何ぞ(しゃく)中化(ちゅうけ)()の形像といわんや。

答う、本果第一番の成道に(すで)に四仏あり。(つぶさ)に四教・八教を説く。故に天台云く「本地の四仏」等云云。妙楽云く「久遠に(また)四教有り」等云云。既に四教・八教有り。(あに)化他の形像に(あら)ずや。妙楽云く「本地(ほんち)の自行は(ただ)円と合す。化他は不定、亦八教有り」等云云

問う、辰抄(しんしょう)に云く「本尊に総体・別体あり。総体の本尊とは一幅(いっぷく)の大曼荼羅(まんだら)なり。即ち当文是れなり。別体の本尊に(また)二義あり。には人本尊。(いわ)く、報恩抄・三大秘法抄・佐渡抄・当抄の下の文の『事行の南無妙法蓮華経の五字七字並びに本門の本尊』等の文(これ)なり。二には法の本尊。(すなわ)ち本尊問答抄の『末代悪世の凡夫は法華経の題目を本尊とすべし』等の文是なり」と云云。此の如何(いかん)

答う、此れは是れ文底の大事を知らず、人法体一の(じん)()に迷い、(ただ)在世(だっ)(ちゃく)・教相の本尊に(しゅう)して以て末法下種の観心の本尊と為す。故に諸抄の意に通ずる(あた)わず。(ほしいまま)に総体、別体の名目(みょうもく)を立て、曲げて諸文を()し、宗祖の(こころ)を失うなり。

(まさ)に知るべし、日辰所引の諸抄の意は、並びに是れ人法体の本尊なり。人法体なりと(いえど)も、(しか)も人法宛然(おんねん)なり。故に(あるい)は人(そく)法の本尊に約し、或は法即人の本尊に約するなり。人即法の本尊とは即ち是れ自受用身(そく)念三千の大曼荼羅(まんだら)なり。法即人の本尊とは念三千即自受用身の(れん)()聖人是れなり。当文及び本尊問答抄当抄の下の文の「本門の本尊」、佐渡抄の「本門の本尊」の文は並びに是れ(そく)法の本尊なり。三大秘法抄報恩抄等は法即人の本尊なり。

問う、当門流に於ては総体、別体の名目(みょうもく)を立つべからざるや

答う、()()名を借りて以て其の義を明かさば、本門戒壇の本尊は(まさ)是れ総体の本尊なるべし。是れ則ち一閻(いちえん)浮提(ぶだい)切衆生の本尊なるが故なり。自余(じよ)の本尊は応に是れ別体の本尊なるべし。是れ則ち面々各々(おのおの)の本尊なるが故なり。


               つづく
文段下 目次



by johsei1129 | 2015-08-22 08:39 | 日寛上人 御書文段 | Comments(0)


<< 開目抄愚記 下二十  牛跡に大...      観心本尊抄文段 下五  寿量品... >>