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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 08月 22日

観心本尊抄文段 下三

一 ()の本尊の為体(ていたらく)

此の下は次に(まさ)しく遺付(いふ)の本尊の相貌(そうみょう)を明かすなり。今此の文を(しゃく)して(しばら)く三段と()す。初めに是れ寿量(しょ)(けん)の本尊を明かし、次に是れ文底下種の本尊を明かし、三には文に随って消釈(しょうしゃく)す。

初めに是れ寿量(しょ)(けん)の本尊を明かすとは、

問う、今()本尊は八品所顕とせんや、寿量所顕とせんや。

答う、寿量所顕の本尊なり。(まさ)此の義を明かさんとするに、初めに明文を引き、次に異解(いげ)を破せん。

初めに明文を引くとは、新尼抄に云く「今()の御本尊は乃至宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕し神力品・(ぞく)(るい)に事(きわま)りて候いしぞかし」等云云。

御義口伝下四十二に云く「二仏座を並べ・分身(ふんじん)の諸仏集まつて()好良薬(こうろうやく)の妙法蓮華経を()(あらわ)、釈尊十種の神力を現じて四句に(むす)び上行菩薩に付属し給う」等云云。

二十九に云く「宝塔品の時事(ときこと)()こり・寿量品の時事顕れ・神力属累の時事()るなり」等云云。

此等の諸文並びに寿量品に説き顕すと云うなり。

下の文に云く「正像(しょうぞう)(いま)だ寿量の仏(ましま)さず、末法に来入(らいにゅう)して始めて()の仏像出現せしむべきか」と云云。

又云く「本門寿量品の本尊並びに四大菩薩」等云云。

此等の明文、(あたか)白日(はくじつ)の如し。故に知んぬ、今此の本尊は寿量(しょ)(けん)の本尊にして、八品所顕の本尊には(あら)ざるなり。

問う、既に「八品(はっぽん)を説いて之を付属し給う」と云う此の如何(いかん)

答う、此れは是れ通じて付嘱の始終(しじゅう)を示す。故に「八品」等と云うなり。八品に此の本尊を説き顕すと()うには非ざるなり。

問う、日忠抄に云く「『此の本門の肝心(かんじん)、南無妙法蓮華経の五宇』をば八品の間に説いて上行菩薩に付属して是れを本尊と為すなり」と云云。又下に云わく「『此れは(ただ)題目の五字』とは、此れは(ただ)八品と口伝するなり」と云云。此の意は本門の八品の間に此の本尊を説き(あらわ)し、上行菩薩に付嘱して末法の本尊と()す。故に八品(しょ)(けん)の本尊なり云云。此の如何(いかん)

答う、宗祖の滅後一百余年の後に八品所顕の新義を立つる所以(ゆえん)は、(ただ)此の両の文に()る。(しか)るに彼等の(しょ)()(すで)に宗祖に(たが)う。誰か之を用いんや。何となれば、宗祖は諸抄の中に(ただ)「寿量品に説き顕し」と云い、「八品に説き顕わし」と云わざる故に。(いわん)や宗祖は但「本門寿量の本尊」等と云い、「本門八品の本尊」と云わざるが故に。(いわん)(また)宗祖は但「()れは(ただ)題目の五字」と云い、「此れは但八品」等と云わざるが故に。

是の故に明らかに知んぬ、宗祖違背(いはい)曲説(ごくせつ)なり。況や(また)妙楽云く「今の釈迦仏は本迹を説き(おわ)って、総じて枢要(すうよう)()って諸の菩薩に付嘱す」と。(すで)に「本迹を説き」と云う()(しか)らば(まさ)に「本迹二門・部所顕の本尊」と云うべけんや。況や(また)大師云く「(こんにち)、本門を説いて切諸仏の所有の法を付嘱す」云云。(すで)に「本門を説いて」と云う。若し爾らば(まさ)に「後の十四品・本門(しょ)(けん)の本尊」と云うべけんや。若し爾らずんば、今「八品を説いて」等と云う(いえど)も、何ぞ「八品所顕の本尊」といわんや。

問う、下の文に云く「()くの如き本尊は(乃至)但八品に限る」等云云。此の文は如何。

答う、「是くの如き本尊」とは即ち是れ寿量所顕の本尊なり。()寿量所顕の本尊は但八品に(わた)り、余品に亘らざるが故に「但八品に限る」と云うなり。何ぞ()八品所顕の文ならんや

問う、諸流一同の義に云く「今此の本尊は本門八品(はっぽん)の儀式なり」と云云。此の義は如何。

答う、(およ)此の本尊は(まさ)しく是れ寿量品の儀式なり。何となれば宝塔品の(とき)、二仏座を並べ分身(ふんじん)来集(らいじゅう)し、涌出(ゆじゅつ)品の(とき)本化涌出し、(まさ)しく寿量品に至って十界久遠の上に国土世間(すで)に顕れ、念三千の本尊の儀式既に円満円足して更に事の(けつ)(げん)無し。(あに)寿量品の儀式に(あら)ずや。

(しか)るに此の本尊の付嘱(いま)(おわ)らず、故に(げん)(ねん)未散(みさん)にして通じて嘱累品に至るなり。故に寿量品の儀式は通じて八品に(わた)る故に八品の儀式なりと言わば、是れ大なる(さまた)無し。(しか)るに諸門流の(やから)是れ寿量品の儀式なることを知らず、(ただ)ちに八品の儀式と云う、故に不可なり。     

問う、日辰の抄に云く「通じて本尊を明かす時は八品(しょ)(けん)の本尊なり。故に『(ただ)八品に限る』と()うなり。別して本尊を明かす時は寿量所顕の本尊なり。故に『本門寿量の本尊』と云うなり」云云。此の如何(いかん)

答う、「通じて本尊を明かさば八品所顕」とは恐らくは是れ(あやま)りなり。宗祖の諸抄(すべ)此の説なし。故に(また)(また)日辰の所謂(いわゆる)寿量所顕は、当流の所謂寿量所顕に同じからざるなり。

問う、蒙抄に云く「一部八巻二十八品(みな)是れ本尊なり。『(ただ)八品に限る』とは、念の尊像を但八品の間に事相に示す故なり。隠顕(おんけん)は機に()り、(ぶっ)()は常に(しか)なり」と云云。此の義如何。

答う、亦是れ宗祖違背(いはい)曲説(ごくせつ)なり。宗祖既に「末代悪世の凡夫は但法華経の題目を本尊と()すべし」と云う故なり。但し唱法華題目抄に「本尊は法華経八巻・一巻」等と云うは是れ仏の()(ぜん)経の如し云云。



                    つづく
文段下 目次



by johsei1129 | 2015-08-22 08:30 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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